名前は伏せようかと思ってましたが、昨夏「鈴鹿・御池岳」で遭難、奇跡の生還されたyuconさんが「鈴鹿・御在所岳」で再び遭難、四日後の昨日無事救助とのことでホッとしていた矢先の今朝搬送先の病院でお亡くなりになりました。
同じ長浜市内在住で2度ほど呑んだこともある関係でしたが昨夏の遭難後彼の考え方に違和感を感じ一線を画してました。それでも気にしてて、遭難から猛省されて山に復帰されてるのは知ってました。まさかの二度目の遭難との報道でしたが無事救助とのことだったので近いうちに説教でもと思ってたところでの訃報・・・
残されたご家族のお気持ちなどを考えると、本来はご冥福を祈るべきなんでしょうが本人に対する怒りというかやりきれない気持ちが抑えられません。
もし私が昨夏の彼のような壮絶な体験をしたなら山は止めてるでしょう。そんな体験をしながらも再び山へ戻っていった気持ちを彼に聞くこともできません。そしてご家族がどんな気持ちでこの一年彼が山へ行く姿をみていたのか内心どれほどしんぱいだったか・・・
今更ながら言いたかったのは、「山よりも自分自身の命や家族をもっと大切にしてほしかった」
こんばんは。昨夏の生還後、山を止めることを身体を張ってでも言えばよかったと後悔してます。
優しい笑顔の人でした。
もう、怒らんといたってください。
わかってますが…身近な人の遭難で気持ちの整理ができません。
・・・う〜ん・・・
言葉が出ません
みなさん こんにちは。今御家族とご本人にお会いしてきました。なんと言っていいのかわかりません。
miccyanさんと同じ様な気持ちを抱いていましたが、亡くなられた事は非常に残念です。
山が好きでも山に魅入られてはいけない。
文句を言おうにも伝えられないのは切ないです
miccyanさん、こんばんは。
やるせなさを感じます・・・・
今、三歩の台詞の二つを噛みしめながら、自分だったらどうすれば良いのかなと考えています。
「山で捨ててはいけないもの・・・・」
「また、山においでよ!!」
遭難(もどきも含め、ヒヤリハットでも)を経験したら、その事実をキチンと受け止めて、分析・反省して、次は安全な登山をするしかないですよね・・・・
それが出来るよう自分を戒めると同時に、大切な仲間達にもちゃんと言えるようになっていきたいと思います。
miccyanさん、こんばんは。bergheil(ベルクハイル)と言います。
今回の件は、単独行の多い自分にも、身近に感じられ、原因はなんだろう、とか、気になっています。
そこで、少し不謹慎かと思いましたが、故人のブログを読みました。
で、なんとなく故人の思いが少し解ったような気がしました。
進行性の病気を抱えて、先行きが不安ななかで、彼が出会った唯一の希望が「山」であり、病気と闘うためにも、山に向かい続けたい、という思いがあったのではないでしょうか。
私もいろいろと、本件で考えさせられるところがありますが、いずれにしろ、第三者がこれ以上、故人を責めるのも、終わりにしてはどうでしょうか。残されたご家族のためにも..
こんばんは。
>進行性の病気を抱えて、先行きが不安ななかで、彼が出会った唯一の希望が「山」であり、病気と闘うためにも、山に向かい続けたい、という思いがあったのではないでしょうか。
こんな思いやこだわりなんか家族や自分の命を比べれば取るに足らないものです。一度目の遭難から救助された瞬間の思いや自分が生かされていることを考えれば同じように山に戻ったとしても違う結果になっていたはずです。故人の顔やご遺族にお会いして、くやしくて、やるせなくて仕方ないです。
miccyanさん、こんばんわ。
私のコメントが言葉足らずですみません。
私も、なぜyさんが、一度目の遭難に懲りずに、こんなことになってしまったのか? ご家族やご友人の悲しみやくやしさは、少しは感じているつもりです。
その不可解さがゆえに、「ご自身が進行性の持病を抱えていたことが、かえってこのような無理をした要因ではないか?」という憶測で、ついコメントしました。失礼しました。
こんばんは。こちらから言い方がキツくて気分を悪くされたなら申し訳ありません。
ただどんな形にしろ生きてこそ生きてこそ意味があるのだと思ってます。
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