それで昨日、自分には少し骨のある奥武蔵の大高山・天覚山コースを歩いてみた。かなり順調だった。予定していた帰りの電車の1本前の電車にゆうゆう間に合った。黄砂と花粉の混じったそよかぜに気持ちよく吹かれながらホームのベンチに座って、ほかの下山者が周りに増えてくるなか、目の前の広場をぼんやり眺めていた。もうすぐ到着する電車を気にしながら小走りにトイレに駆け込む登山者の姿を目にし、それそれ経験あるなあ、だけど電車の接近を知らせる踏切音がまだ鳴らないから大丈夫ですよ・・・・・
あれ、嫌に静かだなあ、シーンとしている、ここはどこだろう、なんかわからない、とにかく静かで心地よい・・・あ、そうだ、駅のホームだ・・・・・あれ、誰もいない、あんなに居たのに、どうしたのだろう・・・・・そうか寝てしまったのか、ようやく気が付いた。誰も起こしてくれなかったか、まあ、仕方ない、午後の早い時間だし
電車が去ってから10分くらい経っていた。あんなに大きな踏切警報音や電車の発着音にも目を覚まさなかったとは一体全体???
最近こうゆうことが多くなった。先日は景信山の帰りに車内でウトウトし新宿を過ぎてからいったん目を覚まして、まだ大丈夫、次が下車駅だから乗り越さないよう注意しなければと思いながら、結局はっとしたときは東京駅に着いていた。居眠りしたわけではない。いつものように脳が空中を漂い始めたのだ。
なんか頭の中でとりとめもなく妄想が湧いてきてそれを懐かしんでいるうちに周囲の現実から遊離してしまう。妄想といっても子供時代の思い出や若い時のあれこれが多い。隣家の花子ちゃんとママゴトしたときのこと、高卒後すぐ勤めた会社で親切にしてくれた女性のほほ笑み、妻と初めてチラッと目を交かわしたときの瞬間、もう脳が懐かしい昔に帰ってゆく。そうゆうことでボンヤリすることがとても多くなった。それも長時間、もう生きることに脳が疲れてボケが始まったのだろうか、それともボケたいと思い始めたのだろうか。
写真1 景信茶屋のベンチ跡、いつもこの辺に座って休んだのだが
写真2 吾野の湧水 すっかり干上がっていた、どうしたのだろう
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