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表丹沢の最も賑やかな登山口といえば、もちろん、大倉。その大倉から山ひとつ隔てた地域、鍋割山の登山口にあたるのが、三廻部(みくるべ)。
実は、「釈迦牟尼仏」と書いて、「みくるべ」と読むのである。
そんな莫迦な、という感じだが、実際そうなのだから仕方ない。
『大日本地名辞書 坂東』の「三廻部」の項目に、「新編風土記云、昔三廻部に釈迦堂あり、釈迦牟尼仏と書してミクルベと訓ずる故、村名となれり…村名も古くは釈迦牟尼仏の文字を書せしならん」と書いてあるのだ。
鎌倉浄光明寺蔵の延徳元年(1489年、足利時代)の文書には、三久留部兵庫助という地頭(ようするにその土地の領主のこと)がここに住んでおり、彼の仏堂があったので、その仏名を仮りて村名に転じたのではないか、とも推察している。
他にも、美久部、如来部(ニクルベ)などといろいろ漢字があるようである。
いずれにせよ、釈迦牟尼仏をミクルベなどと読めるわけがない。当て字にも程がある。
この近辺には、どうもおかしな地名が多い。
三廻部からさらに山ひとつ隔てた寄(ヤドロギ)も、おかしい。
行政的には「ヤドリキ」らしいが、これは植物の宿木(ヤドリギ)の、近世以前の読み方だ。はたしてどれが正しいのだろうか(ちなみに自分はヤドロギと読んでいた)。
三廻部と寄の間にある鍋割山の南尾根には、栗ノ木洞という山がある(以前は地獄山ともいったようだ。怖い(^^;)。「クリノキドウ」と読むらしいが、自分はいつの間にか、「クリノキボラ」と読んでいた。これは、檜洞丸が「ヒノキボラマル」だから、これも「ボラ」と読むのではないかと勝手に思い込んでいたわけだ(^^;
寄沢の右岸には檜岳(ヒノキダッカ)、ジダンゴ(シダンゴ)山など、これまたおかしげな名前の山が並んでいる。後者のwikiには『飛鳥時代に、仏教を寄の地に伝える仙人がいて、この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている。この仙人を「シダゴン」と呼んだことからこの地名が起こり、「シダゴン」が転じて「シダンゴ」(震旦郷)と呼ばれるようになった。』などと説明が書いてあるが、そもそも「シダゴン」とは一体何語なのだろうか。
調べると、どうやらサンスクリット語らしく、「斯陀含」(シダゴン)とは、仏教における聖者への段階のひとつらしい。そういうことなら、何となく説明とうまく結びついているようである。
漢字の読みといえば、白馬岳はやはり「ハクバダケ」でなく、「シロウマダケ」と読みたい。「ハクバ」だと、何となく白馬に乗った王子様的な感じで、軽いというか、少女趣味というか、何となく居心地が悪い(^^;(まったく個人的な感覚で申し訳ないが)
そういえば、前回少しだけ引用したサイト「日本語千夜一話」というサイトで、都留の由来として『「つる」は朝鮮語で「野」を意味する地名である』と説明してあった。
だが今回いろいろ調べていて、風土記の逸文(今は失われたが、別の書で引用されていたため残った箇所のこと)に、「かひ(甲斐)の国のつるの郡に菊お(生)ひたる山あり。その山の谷より流るる水、菊を洗ふ。これに仍りて、その水を飲む人は、命ながくして、つる(鶴)のごとし。よりて郡の名とせり。彼国風土記にみえたり」(和歌童蒙抄四)とあった。
このようにちゃんと説明されているのだから、わざわざ朝鮮語を持ち出して無理やり当てはめる必要もないと思うのだが、どうだろう。
それより、菊の生えた山とは、どこなのだろうか。大月に菊花山という山がある。だが、菊の花が咲いているわけでなく、菊花石という、菊の花を思わせる石が採れたことから、こういう山名がついたという。
やはり、こちらのほうがいい。「野」という意味だといわれるより、このほうがはるかに美しく楽しい。
現実世界にも、ファンタジーは必要なのだ。
写真:雨山方面から、シダンゴ山(中央右より)、寄方面
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