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地図を見るのは大好きで、いつも眺めては、この尾根は登りやすそうだな、とか、これは下山に使うと迷いそうだななどと想像して楽しんでいる。
ガイドブックはせいぜい時間を調べるくらいか。
最近では特に行くのが丹沢や伊豆や富士周辺に限られてきたし、ガイドブックに載っていないルートが多いので、見なくなってきた。
ただ、山に行った人の文章を見るのは、嫌いではない。
ヤマレコの山行記録も、最近よく見ている。自分の知っている場所よりも、よくぞこんなところに行った、という方が好きである。だから自分の範疇ではない沢登りの文章を見るのも好きだ(若いころ2、3度東丹沢の沢に連れられて行った程度の経験しかない)。
この前書店で、ここの日記で教えてもらった、辻まことの『山からの絵本』(ヤマケイ文庫)を見つけたので、買ってぱらぱらと見ている。関東大震災時に甘粕正彦に殺された(とされる)伊藤野枝の長男という、その出生を知った時は驚いたが、文と絵はもちろん、そんなこととは関係なく、実にやんわりとした触り心地で、ちょっと落語っぽい楽しさまで加味された、とてもいい本だった。
論語には、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。」という言葉が出てくる。
中国古代では、「知」も「仁」も「徳」の要素だが、徳の中で一番上なのは、「仁」である。中国の歴史書の決定版『資治通鑑』の編纂者・司馬光がそう書いていたはずだ。「知」はどちらかというと、「徳」の中でも一番低く見られる。「小賢しい」というイメージなのだろうか。孔子においては、なにより重要視されるのは「至誠」ということであるから、どうしてもそうなる(あえて儒教とは書かないのである)。
山の本は、確かにそういう、心静かなイメージのものが多いような気がする。
よく読む山の本といえば、ウォルター・ウェストンの2冊『日本アルプスの登山と探検』(岩波文庫)『日本アルプス再訪』(平凡社ライブラリー)は、何度も再読している。
こういう他文化から見た紀行などは、キリスト教等他宗教からの見方が時に苛立ちをおぼえさせることがよくあるものだが、牧師であるウェストンの本からはあまりそれを感じない(まったくゼロというわけではないが(^^;)。
イギリス人の、嫌になるほどの公平さの賜物であろうか。そういえば、やはりイギリス人のイザベラ・バードもキリスト教と深く関わりのある人物だが、常に公平さを失わないように意識しているかのように感じることもある。
串田孫一の『山のパンセ』(実業之日本社)3冊は、家に初版(のサイン入り)が揃っていて、それで読んだ(自慢)。今となっては、かなり貴重なものかもしれない(親の買ったものだが、自分の家に持ってきてしまった(^^;)。
だが一番好きだったのは、『若き日の山』(河出新書)で、多くのイラストが載っているのだが、この絵が大好きで、ずいぶん真似して描いた。シンプルな線なのだが、実に味があって柔らかい。今では山と渓谷社で再版されているようだが、アマゾンで中身をちらっと見てみたら、イラストが載っていないようだ。
もう何十年も読んでいないので、たまに目を通してみようか(もう下手に触ると分解してしまいそうなのだがw)。
写真:串田孫一『若き日の山』
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