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日記

カテゴリー「新編相模国風土記稿」の日記リスト 全体に公開

2016年 03月 11日 06:48新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 煤ヶ谷村[その1]

新編相模国風土記稿. 第3輯 巻之五十八 村里部 愛甲郡巻之五 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763969 コマ番号392 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 煤ヶ谷村(須々賀也牟良[すすがやむら])[その1]
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2016年 03月 06日 11:55新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 丹沢山

新編相模国風土記稿. 第3輯 巻之五十四 村里部 愛甲郡巻之一 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763969 コマ番号292 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 丹沢山(太武坐波屋満[たむざはやま])  郡の西方
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2016年 02月 23日 02:46新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 玄倉村

新編相模国風土記稿. 第1輯 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967 コマ番号290〜291 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 玄倉村(久呂久羅牟良[くろくらむら]) 江戸より行程28里。旧は河村郷を唱え
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2016年 02月 19日 02:59新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 中川村[その3]補足

一つ、このあたりの大事な道を忘れていました。 旧東海自然歩道、奥野歩道、つまり、大滝峠から、畦ヶ丸西麓・大界木山南麓山腹を巻いて、信玄平に行く道です。 この道はいつころからあったものなのでしょうか。 大滝峠を中間点として、諸窪歩道とつながっているので、もともと1つの名前の1本の山道であったのか
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2016年 02月 16日 22:34新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 中川村[その3]

新編相模国風土記稿. 第1輯 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967 コマ番号287〜290 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 中川村(奈可加波牟良[なかがはむら])[その3] ・旧家市平  湯川氏なり。
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2016年 02月 14日 15:26新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 中川村[その2]

新編相模国風土記稿. 第1輯 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967 コマ番号287〜290 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 中川村(奈可加波牟良[なかがはむら])[その2] ・温泉  東方字湯河原とい
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2016年 02月 13日 19:06新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 中川村[その1]

新編相模国風土記稿. 第1輯 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967 コマ番号287〜290 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 中川村(奈可加波牟良[なかがはむら])[その1] 江戸より行程28里半。当村
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2016年 02月 11日 11:22新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿 世附村

新編相模国風土記稿は、「江戸時代に編纂された相模国の地誌。大学頭林述斎(林衡)の建議に基づいて昌平坂学問所地理局が編纂に携わる。天保12年(1841年)成立、全126巻。刊本は『大日本地誌大系』に収録されている」(wikipedia)とのことで、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで見ることがで
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