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この日曜日、犬越路に行ってきたので、早速ササがどういう状況になっているか、見てみることにした。
神ノ川から犬越路への途中、かなり上流でササが出てきたが、やはりほとんど枯れていた。もともとどんな様子だったのか、この道ははじめてなので分からないが、かなりササが旺盛だったのだろうか。
大室山の登りの途中まで、枯れたササが続いた。
何箇所かで、まだ花が咲いているのを見ることができた。ササの花を見るのははじめて(タケも似たような花らしい、もちろん見たことはない)。この場所では、もう自分が生きている間には花は咲かないと考えると、ちょっと感慨深い(^^;
今年、ここ犬越路だけでなく、畦ヶ丸でもササが枯れてつぼみが出ているのを見た。こんなに離れているのにどういうわけだろう。偶然なのだろうか。
ふと思ったのだが、もしかしたら丹沢全域のササの生育サイクルは、ある程度近くなっているのではなかろうか。
そう考えたわけは、富士山だ。
富士山が最後に噴火したのは、江戸時代1707年(宝永4年)。この噴火は、有史代の富士山の噴火としては一二を争う大きなもので、しかも溶岩はほとんど流れず、火山灰などの噴出物が中心だった。
この噴火で、江戸にも数センチ灰が積もった。特に足柄、丹沢(の南西部)では大量の火山灰のため、その後何十年にもわたって、酒匂川流域では災害が続いたという。
特に西の三国山周辺から小富士にかけては、今でも山がなだらかで、まるで砂時計の下に積もる砂のような姿だが、これは大量の火山灰が積もったためである。
ちなみに右の写真が、その推定火山灰量だ。
偏西風の影響を受け、西に細長く分布域が伸びている。丹沢の北側では、思ったほど積もっていないが、それでも犬越路あたりでは少なくとも10センチの降灰はあったと思われる。
道志側などを除いて、丹沢全域にわたって、植生は壊滅したと考えられるのではないか。もしそうだとしたら、一度植生がそこでリセットされ、307年経った、ということになる。
ササの花は約50〜60年に1回咲くという。ということは、植生が火山灰で全滅して数年、再び生えだして、ササの花が5〜6回咲き、今に至る、と考えると、数字的にあう(間違いなくそんなにうまいこといかないと思うけど(^^;)。
ササはススキなどと同じで、火山噴火、洪水、火災、人為的に出来た裸地にいち早く生えてくる先駆植物のひとつらしい(そういえば火山のそばってササは多いような)。このササは、その子孫なのだろうか。
もしそうならば、丹沢全域のササのサイクルはほぼ同一(数年の違いはあるだろう)と予想できる。ここ数年の間に、丹沢のあちこちで花が咲き、枯れ始めるかもしれない。そして一時的には、丹沢のササ原はかなり縮小してしまうのではなかろうか。
花の咲くサイクルが50〜60年と10年の違いがあるし、標高の高いところの丈の低いササと、標高の低いところの丈の高いササ、こういったところでもサイクルに違いがあるような気もするが、とりあえず分からないことは脇に置いておく(^^;
近い地域のササならば、もとの株が同じで、サイクルも同じ可能性もある。
さらに、降灰の少なかった周辺部からまず復活し、その後次第に降灰被害の中心部へむけて復活していっただろうから、花の咲く分布は、段々と南に向けて移動していくかもしれない。
あと、こうなると箱根や足柄のササの状況も気になってくる。
さて、この予言が当たるかどうか。
ちょっとわくわくしてきた。
専門家ではないので、気が楽だ(^^;
写真1:犬越路〜大室山の途中、ササの花
写真2:宝永噴火の火山灰の厚さ(cm)
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