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何か手掛かりは無いかと、滋賀県立図書館のデジタル資料を探ってみたところ、面白いものを見つけた。明治4年の「坂田郡男鬼村絵図」(近江国各郡町村絵図)の男鬼峠に当たる位置に、2本、それぞれ「西」と「東」が書かれた石柱が描かれている。この絵図では別個に描かれているが、同じものが2本あった可能性が高い、といえそうだ。そうすると、西尾本に載っている峠の小屋前のものが本来置かれていた場所のもので、男鬼山頂のものは峠から移したとも考えられる(絵図の中には山中のどこにもこのような石柱は描かれていなかった)。
この推論から新たに考えられること、及び疑問は次のことだ。
1 なぜ、峠にあった石柱を山頂に移して立てる必要があったのか?それも石で頑丈に土台まで作って。
2 絵図に描かれた2本の石柱は何のためのものだったのか?また、いつ立てられたのか?
あれこれ謎は深まるばかり。まあ、それにしても何か考える「種(たね)」があれば山を歩くタノシミも深くなるというもの。のんびり構えてやるとしよう。
そういえば、同図書館の資料中、「番場」の絵図にはあの辺りの山の配置図が付されたものがあり、「長坂山」なる文字が見える。「向山(武奈山)」は「向ヶ嶽」と記されていてその奥にあるのが「長坂山」なら、それは「男鬼山」ということになる。「男鬼山」という呼称は伏木貞三氏に従った、とあるから、本来の名は「長坂山」と呼ばれたのかもしれない。
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