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山登りと「こんにちは」 山形新聞2017年8月3日朝刊より
■ 小国町 渡辺競 80歳
私は今年傘寿の80歳、下り坂である。山登り人生の最初は地元の飯豊連峰や朝日連峰の夏山を楽しみ、次に富士山や北アルプスの奥穂高、白馬など、最後はスイスなどを楽しんだ。
私にとって山登りほど、新鮮な楽しさと驚きがあるものはない。山道は人が歩くためにある。動物たちは山道でなくともよいが、人間は道がないと歩けない。登山道があって初めて人は山に登れるのである。
もし大勢の登山者が押し掛けたのに、登山道がなかったらどうなるだろう。そう考えると山道ほどありがたいものはない。道に従い登っていけば頂上にたどり着くし、坂道を下れば里へ帰ってこられる。何と便利なことか。
夏山の楽しさは、登る者と下る者がすれ違う時である。お互いに「こんにちは」と声を掛け合うあいさつの儀式を、いったい誰が決めたのか。自然とそうなったのだろうか。
海ではそのようなことはない。海岸の道で知らない者が「こんにちは」と声を掛けようものなら「なんだろうこの人は。知らないのになれなれしい」と警戒されるだろう。
だが山道においては警戒するほうが警戒されるというものだ。夏山が好きな最大の理由はこのあいさつにある。相手に言われる前に、こっちから言ってやろうと思っている。
「こんにちは」の一言にはさまざまな意味が含まれる。ヘトヘトでもう一歩も登れないほどの人には「頑張って!!」という意味や励まし、下り坂では「ご苦労さま」というようなねぎらいの意味がある。
朝でも「こんにちは」、日が暮れかかっても「こんにちは」である。「おはよう」や「こんばんは」を山道で言うのは「ちょっと違うなァ」と思えてくる。
間もなく飯豊連峰夏山登山が始まる。ぜひ「こんにちは」と出会いのロマンを楽しみにしてほしい。私は毎朝、登山口のトイレ清掃をして待っている。
● 感想
私も山ですれ違うときは、基本的に「こんにちは」「お気をつけて」と声掛けするようにしている。
ただあまりにもすれ違いが多いと喉が疲れてしまう。お盆に磐梯山に登ったとき、あまりにも往来が多かったため、挨拶の連続によって喉がカラカラになった。弘法清水の先の、3つの登山道が一つにまとまる区間が凄まじかった。
山は街中とは違う環境のため、いろいろ常識も変わる。街中の常識が通用しないときがある。互いに迷惑になるようなこともあるかもしれない。だからこそ基本的な挨拶が必要になってくるのではないだろうか。
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