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写真2:現在の1/25000の「天母山」 赤の四角の部分が馬返
写真3:今回歩いた旧大宮道 赤の四角の部分が馬返
私は数年前から富士宮市の富士山に登る古い5つの登山道を自分なりに調査し、歩いてきた。その中で一番古い村山古道は多くの人の努力で復活し、歩けるようになった。そして2番目に古い人穴登山道は文献が非常に少なく古地図、概念図もないため、断定はできないが崩壊の進む大澤を登り、途中の三ツ沢付近で右岸横の滑沢に移動し登っていたものと推定され、私も途中まで登ってみたが単独では危険な場所もあり、途中で断念した。次に古い大宮道&二合目までのカケスバタ登山道も調査しているが完結はしていない。
1番、新しい上井出登山道は途中まではしっかり残っているが、恐らく、大澤の三ツ沢付近で右岸にわたり人穴登山道と合流したのではないかと推定している。
大宮道は明治39年にできて当初は浅間大社から歩いて登ったが、大正3年にカケスバタまでバスが入ると、村山道を歩く人は居なくなり衰退していった。大宮道もスカイラインが出来てから新五合目から下は廃道化してしまった。私が60年ほど前に、小学生、中学生の時の富士登山で二合目から歩いた道なので愛着があり、なんとか新五合目まで歩いてみたいと思っていた。そこで昭和5年発行の1/25000の国土地理院の地図を入手して、スカイラインが出来た後の現在の地図と比較しながら調査を開始した。
両方の地図で共通しているポイントは馬返だけである。旧二合目から歩き始めてスカイラインの6.8Km地点まで来たときに、登山道はスカイラインで切断されてその先が判らなかった。そこで現在の馬返の方向に踏み跡を捜しまわったが判らずに断念していた。
そんな時にupaさんが新五合目(旧三合五勺)から下りながら大宮道を発見して私に教えてくれた。upaさんの好意でその道を一緒に、二合目から歩いてみたがそれは道幅といい、当時のゴミの残骸、古いアルミのマーキングテープなどから間違いなく大宮道であった。
しかし現在の地図では馬返がスカイラインの東側にあるのに、実際の道はスカイラインの西側の市兵衛沢にほとんど沿って登るものであった。途中には旧三合目の小屋の残骸も残されており、その下の方には馬返と思われる広場もありゴミ、ドラム缶などが残っている。
どう考えても、現在の地図の馬返の位置は間違いである。以前に、地図の馬返地点を調べたが、その時は草が生い茂り、馬返の痕跡や道らしきものは発見できなかった。再度、昨日、馬返地点に行って調査してきたが、草も無い状況ではあっても、広場、道、ゴミ等の痕跡は見つけることが出来なかった。やはり国土地理院の馬返の地点が間違っているとしか考えられない。
富士山登山道では村山口、富士吉田口、御殿場口、須走口、須山口、精進湖口など多くの登山道があるがどの登山口も麓からの道は整備されて残っており歩くことが出来るのに富士宮口(大宮道)だけが廃道化したままである。なんとか行政や関係団体が協力して復活させて欲しいものである。
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