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日記

カテゴリー「私と百名山」の日記リスト 全体に公開

2014年 11月 02日 11:50私と百名山

日本百名山新聞連載完了

 私が参加しているボランティアグループ「えんの会」が2008年に発足し活動を開始した。活動する中で「えんの会」をもっと同級生の仲間に知ってもらい会員を増やしたいと幹部たちは考えていた。そこでメンバーの中で絵画が趣味で個展も開いている長谷川さんの絵と私の山の足跡の二人展を富士宮市民文化会館で開催し、来
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2014年 11月 01日 10:33私と百名山

私と百名山 100.宮之浦岳(1935m)2002年10月13日

 百名山の最後の山は宮之浦岳にしようと残り20座位になったときから決めていた。北海道の残り三座をこの年の8月に登り、いよいよ宮之浦岳だけとなった。そして10月の連休に宮之浦岳に向かった。しかし出発するまでが大変であった。会社で私の部門の中期経営計画案を翌日中に社長に提出しなければならない。翌日、山に
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2014年 10月 19日 16:14私と百名山

私と百名山 99.後方羊蹄山(1893m)2002年8月17日

 前日は十勝岳から予定した以上に時間がかかり、ニセコのペンションに到着したのは19時過ぎであった。前もって途中で遅くなることを連絡しておいたので、マスターは私が到着してからフランス料理の夕食を作ってくれ、温かい料理をうまいワインを飲みながらいただくことができた。朝早く出発することを話したら朝食にはサ
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2014年 10月 04日 16:29私と百名山

私と百名山 98.十勝岳(2077m) 2002年8月16日

 コンビニで朝食と昼食を手当てしたあと、十勝岳登山口の望岳台に車で向かう。望岳台の広い駐車場には既に10台近い車が駐車していた。晴れてはいるが十勝岳山頂はガスがかかっている。朝食を食べ、7時に歩き出す。  前日の幌尻岳の疲れが残っていて足が重く先が思いやられた。とにかく我慢、我慢と言い聞かせながら
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2014年 09月 13日 17:23私と百名山

私と百名山 97.幌尻岳(2052m)2002年8月15日

 北海道の残り三山を夏休みに登ろうと思い、少し移動を考えると強行日程であるが3泊4日で計画した。羽田発1番の新千歳空港行きで北海道に向かう。 新千歳空港の気温は17℃、最高気温が久しぶりに20℃を超える予報であった。この年の北海道は天候不順で前日まで雨の多い、気温が低い天気が続いていた。レンタカー
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2014年 09月 01日 14:05私と百名山

私と百名山 96.祖母山(1758m)2002年4月14日

 1日だけ休暇をとって土日との3日間で祖母山と阿蘇山に行く計画をする。しかし仕事の資料作りに追われ、工場を出たのは夜中0時30分。それでも資料が間に合わず九州から戻り工場に直行し、19時から資料作りを再開、出来上がったのは23時を過ぎていた。休むのも楽ではない。  13日、羽田発11:55で大分空
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2014年 08月 16日 10:17私と百名山

私と百名山 95.斜里岳(1545m)2001年9月23日

 トムラウシ下山後、再び釧路に戻り泊まる。翌日は釧路湿原、タンチョウヅルの里を見学して阿寒に向かう。1965年に雄阿寒岳に登ったが最高峰の雌阿寒岳には登っていなかったので、雌阿寒温泉登山口から往復してから摩周湖経由で斜里町に向かった。霧の摩周湖と言われるが、私が行くといつも快晴である。この日も晴れて
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2014年 08月 02日 11:12私と百名山

私と百名山 94.トムラウシ(2141m)2001年9月21

 残る百名山は北海道が5座、九州が2座になった。北海道を2回に分けて最初はトムラウシと斜里岳プラス雌阿寒岳を登ることにした。羽田から釧路空港に向かい、空港でレンタカーを借りてトムラウシ温泉まで260Kmを走行する。  トムラウシ温泉の国民宿舎東大雪荘に泊まるが、新しい建物で気持ちよく露天風呂も川縁
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2014年 07月 19日 10:44私と百名山

私と百名山 93.開聞岳(924m)2001年4月15日

 南九州に連れ合いと旅行に出掛けた。鹿児島空港でレンタカーを借りて1日目は霧島方面に向かう。1963年に霧島の最高峰の韓国岳に大浪池から登り、えびの高原に下りたが、霧島山を代表する高千穂峰に登っていなかったので霧島神宮にお参りを済ませ、高千穂河原から快晴の中、高千穂峰を往復してきた。高千穂峰からは新
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2014年 06月 21日 09:18私と百名山

私と百名山 92.荒島岳(1524m) 2001年10月15日

 連れ合いと紅葉見物を兼ねながら九頭竜湖側からアプローチして荒島岳に登ることにした。荒島岳は以前、会社のN君と登る計画を立てたが大雨のために中止になり、時間を置いて再度の挑戦である。しかしこの年は残暑が続き冷え込みが少なかったため、楽しみにしていた紅葉にはまだ少し早かった。そのためどこにも立ち寄らず
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2014年 06月 07日 13:13私と百名山

私と百名山  91.大峰山(1915m)2001年10月1日

 大峰山系を代表する山上ケ岳に登ろうと計画するが富士宮からはアプローチが大変である。私は車の運転は苦にならないので遠方の山でも車で行くのが常である。しかしこの時は当時の山日記に理由は書いていないが、なぜか電車で行くことにした。  名古屋に出て、近鉄で2回乗り換えて下市口へ。ここからバスで登山口のあ
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2014年 05月 24日 16:10私と百名山

私と百名山 90.九重山(1788m) 2000年8月5日

 8月の木、金曜日に熊本地方に出張で行くことになった。この出張を利用して土曜日に九重山に登る計画を立てる。熊本駅のロッカーに山道具を預けて客先を訪問。仕事終了後、駅に戻り、背広姿から山の服装に着替えて電車で湯布院へ。ここでレンタカーを借りてこの日の宿泊を予約している筋湯温泉に向けてやまなみハイウエイ
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2014年 05月 11日 08:26私と百名山

89.石鎚山(1981m)2000年5月4日

 石鎚山に向かう途中のドライブインに宿泊し、朝は早く出発したいので朝食の代わりにオニギリを作ってもらい5:30に出発。登山口の土小屋の駐車場ではバス3台の団体が出発の準備をしていた。100人以上の団体はほとんどの人が修験者の白装束であった。団体よりも早く出発したかったが団体の方が先に歩き始めてしまっ
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2014年 04月 27日 17:33私と百名山

私と百名山 88.剣山(1955m)2000年5月3日

 郡山に単身赴任して東北地方の登りたい山を中心に歩いていたら、深田久弥の日本百名山も残り13座となっていた。ここまできたら完全制覇せざるをえない。残っている山は九州、北海道、四国と遠方ばかりであるが、日本百名山ピークハンターと言われようとも残りの山頂を目指すことにし、手始めに四国の剣山と石鎚山を1泊
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2014年 04月 12日 14:45私と百名山

私と百名山 87・朝日岳(1870m)1999年6月5日

 朝日岳は私にとって縁遠い山であった。最初に登ろうと思ったのは大学4年の秋季合宿である。しかし学業をサボっていた私は卒業研究が間に合わなくなり、合宿参加を断念せざるを得なかった。2回目は1997年の秋に計画したが、寒冷前線が東北地方を通過し大雪の荒れた天候が予想され、計画を中止した。更に1998年の
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2014年 03月 29日 16:34私と百名山

私と百名山 86.大台ケ原山(1695m)1999年5月1日

 私は仕事や旅で日本各地にかなり足跡を残しているが、紀伊半島の南部にだけは行ったことが無かった。そこで連れ合いと熊野、那智勝浦、潮岬方面の旅行を計画する。しかしただ単に観光地巡りだけでは物足りないので大台ケ原の日出ケ岳も歩くことにした。  郡山から富士宮の家に戻り、翌日、午前3:40に家を出発。高
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2014年 03月 08日 10:34私と百名山

私と百名山 85.雨飾山(1963m)1998年5月1日

 会社の山の後輩N君から5月の連休に雨飾山に登らないかとの誘いを受けた。私もまだ登っていない山なので喜んで同行させてもらう。大阪から来るN君と南小谷駅で待ち合わせし、私は郡山から東北自動車道、磐越自動車道、北陸自動車道と高速道を乗り継ぎ糸魚川から国道148号線で南小谷駅へ。予定より10分ほど遅くなっ
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2014年 02月 22日 09:46私と百名山

私と百名山 84.皇海山(2144m)1997年10月12日

 皇海山は深田久弥も書いているようにあまり知られていない山であり、私も日本百名山を読むまではこの山を知らなかった。むしろ子供の頃、読んだり映画を見たりした滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」の舞台となった庚申山の方に興味があり一度、登りたいと考えていた。皇海山は庚申山の隣の山であることを知り、庚申山荘か
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2014年 02月 08日 14:05私と百名山

私と百名山 83.平ケ岳(2140m)1997年8月2日

 学生時代のワンダーフォーゲル部では尾瀬付近でよく、合宿をしていた。多くのパーティが平ケ岳を訪れているが、私は別のコースを優先して平ケ岳には登っていなかった。永年、登りたいと思っていながらいまだに登り残していた山が3座ある。平ケ岳、御神楽岳、朝日岳である。これらの山の名前を聞いたり読んだりすると宿題
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2014年 01月 11日 12:23私と百名山

私と百名山 82.焼岳(2458m)1997年5月2日

 私が本格的に山に登り始めた1963年の前年に焼岳は大噴火をして以降、ずっと登山禁止になっていた。河童橋から見た梓川の上に噴煙を噴きながらそびえ立つ焼岳は絵はがき的ではあるがいつ見ても素晴しく、登れるものならば登りたいと思い続けていた。1991年に2393mの北峰まで登山禁止が解除される。2455m
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2013年 12月 16日 10:02私と百名山

私と百名山 81.八甲田山(1585m) 1996年7月28日

 岩木山を下り、この晩の宿の酸ケ湯温泉に向かう。昔、国鉄(今のJR)のフルムーンの宣伝ポスターだったと思うが、酸ケ湯温泉の千人風呂の写真を見て、この温泉のことが頭にインプットされていたので、八甲田山に登るときにはここに泊まろうと考えていた。  酸ケ湯温泉は八甲田山の麓の大きな1軒宿の温泉だが、今で
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2013年 12月 02日 13:55私と百名山

80.岩木山(1625m) 1996年7月27日

若い頃、キャンプなどでよく歌った「シーハイルの歌」が青森県五所川原農林高校スキー部の部歌で、「岩木のおろしが吹くなら吹けよ、山から山へと我等は走る・・・・」と詠われた岩木とは岩木山のことだと知ったのはこの頃であった。そこで青森県の2ツの著名な岩木山と八甲田山に登りたくなり、少し遠いが出掛けることに
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2013年 11月 16日 09:26私と百名山

私と百名山 79.鳥海山(2240m)1995年10月14日

 郡山を4時20分に出発し東北自動車道、山形自動車道、国道13号、47号、345号と走り、観音寺から滝の小屋駐車場着いたのは8時半になってしまった。駐車場に来るまでの公園道路滝ノ小屋線は紅葉の盛りであったが、赤が少なく少し物足りなさを感じた。  朝食を取り午前9時に雲1つない快晴の中、勇んで出発。
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2013年 10月 26日 09:23私と百名山

私と百名山 78.岩手山(2041m) 1995年7月30日

 早池峰を一緒に登ったN君は翌日、大阪まで帰らなければならないため、私一人で盛岡市のビジネスホテルを出て岩手山に向かう。柳沢登山口の馬返し駐車場に車を止める。歩き出すが昨日の体調が嘘のように足が重く、呼吸が荒い。前晩久しぶりに再会したTさんの勧めでつい、好きな酒を飲みすぎたようだ。  二合目まで来
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2013年 10月 12日 20:58私と百名山

私と百名山 77.早池峰(1914m) 1995年7月29日

 ヨーロッパアルプスのエーデルワイスに1番近いと言われているハヤチネウスユキソウを見に行くことにした。もう1ツの目的は退職されて郷里の盛岡市に在住する会社の山の先輩Tさんを訪ねることであった。この計画を知った会社の山の後輩N君から同行の申し入れがあり、二人で郡山から盛岡まで東北自動車道を300Km、
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2013年 09月 28日 11:42私と百名山

私と百名山 76.吾妻山 2024m(1994年6月18日)

 吾妻連峰を東から西まで縦走すると1泊2日になり、登山口と下山口が大きく離れてしまうために車でのアプローチに難がある。そこで東吾妻山と西吾妻山を2回に分けて登ることにした。  最初に白布温泉から人形石・西吾妻山・西大巓を歩くことにする。裏磐梯から桧原湖を通り西吾妻スカイバレーラインで白布温泉に向か
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2013年 09月 15日 16:09私と百名山

私と百名山 75.男体山 2484m(1994年5月29日)

 大学のワンダ−フォゲル部に入り、最初の合宿が中禅寺湖から尾瀬までのコースであった。この時に半月峠からの中禅寺湖の後に聳える男体山、中禅寺湖西側を半周しながら湖面に映る男体山を眺めながらいつか登りたいと思ったものである。その後も宇都宮を過ぎた辺りの東北新幹線車中から男体山を始めとする日光連山を眺め、
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2013年 08月 31日 10:33私と百名山

私と百名山 74.磐梯山1819m(1994年5月7日)

 この年の3月末に郡山工場専任を命じられ、福島県郡山に単身で着任した。郡山には兼務の時期を合わせると合計で12年間、御世話になり第2の故郷である。家庭的には認知症の始まりかけていた父親の介護を連れ合い一人に任せきりにするのは心苦しかったが、東北の山に登れるチャンスでもあった。  さっそく5月に磐梯
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2013年 08月 18日 09:46私と百名山

私と百名山 73.会津駒ケ岳2132m(1993年10月5日)

 紅葉の尾瀬沼ハイクを兼ねて会津駒ケ岳にハイキング同好会のメンバーと登った。登山口の桧枝岐集落は平家の落人が開拓したと言われ、京訛りが残っているそうである。また桧枝岐歌舞伎でも有名である。以前は陸の孤島と言われたこの部落も尾瀬への裏口として注目され、今や観光地となり陸の孤島の面影はもう無い。この後も
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2013年 08月 03日 10:02私と百名山

私と百名山 72.安達太良山(1700m) 1993年5月1日

 会社で福島県郡山市に新工場を建設した。建設準備段階から新工場に関わり、1992年に完成後は静岡県の三島工場と郡山工場の兼務となり、1週間交代で三島と郡山を往復していた。新工場の御披露目に会社の幹部が郡山を訪れたとき、バスガイドが「工場から見える安達太良山を地元では乳首山と呼んでいる」と説明していた
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2013年 07月 20日 10:53私と百名山

私と百名山 71.恵那山(2190m)1993年4月10日

 仕事で名古屋から車で中央自動車を通って中津川や諏訪に行くことが数回あった。中央自動車からの恵那山を見ていると、大きく立派で登りたいと思うようになる。この2年前に四阿山・草津白根山・赤城山に登ってから日本百名山を登りたいという意欲がなくなり、前年は他の登りたい山を登っていた。恵那山は百名山だから登る
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2013年 07月 06日 16:35私と百名山

私と百名山 70.赤城山(1828m)1991年9月22日 

 本白根山登山口の車の中で3時半に目を覚ます。目覚ましにお湯を沸かしコーヒーを飲んでから車の運転を開始する。赤城山に向かう国道も朝早いので空いていて、順調に6:35に赤城山大沼駐車場に到着。朝食にインスタンタラーメンを作り、腹ごしらえしてから7時に出発。前日と打って変って秋晴れの良い天気である。
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2013年 06月 23日 15:02私と百名山

私と百名山 69.草津白根山(2162m) (1991年9月21日)

 根子岳・四阿山から下りてきて、すぐにまた車で草津白根山に向かう。白根山の弓池駐車場に着いたのは15時であった。一休みして霧雨で濃いガスの中を草津白根山の最高峰である本白根山に向かう。しばらく林道を歩き、やがて登山道になる。  何も見えないガスの中を歩きながら自分が嫌になる。「今の自分は百名山のピ
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2013年 06月 08日 15:31私と百名山

私と百名山 68.四阿山(2333m)(1991年9月21日)

1座ずつ登るには時間的にも、経済的にももったいないし、登山としては少し物足りなさを感じる山を纏めた百名山巡りをしようと計画した。最初に四阿山に登り、その日のうちに草津白根山に回り、翌日、赤城山に登って帰る1泊2日で三山を巡るドライブ登山である。  ただ単に四阿山だけを登るのでは物足りないので、隣の
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2013年 05月 25日 09:12私と百名山

私と百名山 67.美ヶ原(2034m)(1991年7月26日)

 美ヶ原は平安時代から放牧地として利用され、近年では最高点近くまで車が上がり、電波塔が林立していて、一般的には登山というよりも観光として訪れる人が大部分であろう。深田久弥の日本百名山に美ヶ原が入っていなければ恐らく、私はまだここを訪れていなかったのではないかと思う。  ガイドブックや昔の紀行文を読
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2013年 05月 11日 12:30私と百名山

私と百名山 66.那須岳(1917m)(1990年5月26日)

 会社の後輩のN君から那須に登ろうとの誘いを受け、出掛けることにした。ロープウエーで茶臼岳を往復するだけでは、遠い静岡から行くには勿体無いので茶臼岳、朝日岳、三本槍岳の那須三岳を登り、三斗小屋温泉に泊まって秘湯を楽しむことにした。  家を4:00に出て8:55に那須ロープウエーの山麓駅駐車場に着く
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2013年 04月 27日 21:37私と百名山

私と百名山 65.浅間山(2514m) (1990年5月6日)

 噴火が続いていて登山禁止になっていた浅間山の登山規制が、前年かこの年の始めだったかはっきりとは覚えていないが解除されたとのニュースを見た。早速、5月の連休に出掛ける。家を夜中に出て、浅間山荘に着いたのは8時過ぎであった。この浅間山荘は連合赤軍が立てこもった軽井沢レイクニュータウンにある某会社の保養
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2013年 04月 13日 13:30私と百名山

私と百名山 64.筑波山(876m)(1990年4月15日)

 私は仕事で月2〜3回、東京に行っていた。東京で時間に余裕があるときには神田の古本屋街の山岳図書、山岳資料を中心とした古本屋の悠久堂書店を覗くことにしている。ある日、深田久弥の「日本百名山」初版16刷があったので早速購入した。  この本のことは勿論知っていたが百名山の内容までは知らず、初めて中を読
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2013年 04月 01日 09:17私と百名山

私と百名山 63.両神山(1724m)(1989年11月4日) 

 平成元年(1989年)は3回しか山に登れず、本格的に山に登り始めてから1番山行回数が少ない年になってしまった。前年、母親が入院し、当時は完全看護の病院が無かったため、寝返りをさせたり下の世話をするために24時間、誰かが付いていなければならなかった。最初は家政婦さんを頼んでいたが、私の1ケ月の給料が
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2013年 03月 10日 17:18私と百名山

私と百名山 62.高妻山(2353m)(1986年7月28日)

 会社のハイキング同好会でキャンプを兼ねて戸隠、高妻山に出掛けた。1日目、車で戸隠キャンプ場に入りテントを張り、翌日、キャンプ場から随神門に行く。ここから戸隠神社奥社までの太い杉並木が、戸隠神社の歴史を感じさせてくれた。  岩壁の下の百間長屋等を通り過ぎると、ほとんど垂直の岩場の上の西窟がある。登
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2013年 02月 23日 12:57私と百名山

私と百名山 61.空木岳(2864m)(1984年8月5日)

 夜中の2時過ぎに家を出て、南甲府インターから中央高速道に入る。駒ヶ根インター近くで夜も明け始めた。駒ヶ根インターまで2Kmの表示が出て、もうすぐだと1瞬の気の緩みが出た。おそらく数秒間程度であろうが居眠りをしてしまったようである。ガシャンという大きな音にハッと、われに返る。気が付くと中央分離帯が目
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2013年 02月 09日 13:32私と百名山

私と百名山 60.火打山(2462m)(1982年8月8日)

 1等三角点のある妙高北峰を後にして、今日の宿泊地・高谷池ヒュッテに向かう。大倉乗越付近から雨が落ち始めた。雨具を身に着けて下っていくと、ドーム型の黒沢池ヒュッテに到着。  ここからは平たんな道で、茶臼山を通過しても1時間で高谷池ヒュッテに着いてしまった。ヒュッテは池塘に囲まれていて、晴れていれば
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2013年 01月 19日 10:31私と百名山

私と百名山 59.妙高山(2446m) (1982年8月7日)

 大学のワンゲル部では毎年、スキー合宿を妙高池の平スキー場で開催していた。深田久弥がスキーを最初に履いたのはこの妙高スキー場であったが、私もスキーを最初に履いたのはこの合宿であった。スキーの上手な先輩が教えてくれるのだが、雪をほとんど見たことの無い暖かい静岡県で育ったため、スキーを履いて歩くこともま
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2012年 12月 15日 13:12私と百名山

私と百名山 58.蓼科山(2530m)(1981年10月10日)

 この年の夏にファミリーハイキングで車山に行き、近くのおむすび型の蓼科山に登りたくなった。秋に7歳の次女には少し厳しいかなと考え、長女(9歳)だけを連れて1泊で登ることにした。娘と二人だけの山は始めてであり、日頃仕事が忙しくてあまりできなかった親子の会話を楽しみながらの山旅となった。  茅野駅から
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2012年 12月 01日 20:40私と百名山

私と百名山 57.霧ケ峰(1925m)(1981年8月15日)

 前年に、家族4人でキャンプができるように4人用山のテントを購入し、近くの富士五湖でキャンプを楽しんだ。この年は夏休みに霧ケ峰に家族4人でキャンプに出掛けることにした。ビーナスラインを通って八島高原の駐車場に着く。ここで八島湿原の高山植物を観察しながら散策する。  テントを張るのは鎌ケ池キャンプ場
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2012年 11月 18日 11:09私と百名山

私と百名山 56.苗場山(2145m)(初登山日:1981年7月25日)

 苗場山は某ホテルグループが大々的にスキーリゾート地として開発していたため、あまり登る気はなかった。しかし山の雑誌に苗場山の紹介が載っており、頂上の池塘や高山植物が咲き乱れる天上の楽園のような写真を見て、急に歩いてみたくなり出掛けることにした。  上越線の夜行に乗り、朝早くに越後湯沢に到着。1番の
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2012年 11月 08日 11:10私と百名山

私と百名山 55.白山(2702m) (初登山日:1981年5月4日)

 5月の連休を利用して白山に登る計画を立て、1日目は室堂まで上がり2日目下山する予定で出発した。夜行で金沢に着き西金沢駅から北陸鉄道で白山下まで行く。ここからバスで白山温泉のある市ノ瀬まで行く予定であったが、この年は雪が多くてバスは白峰までしか開通していなかった。仕方なく白峰から両側雪の車道を歩くが
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2012年 10月 20日 14:12私と百名山

私と百名山 54.大菩薩嶺(2057m)(初登山日:1981年4月11日)

 中里介山の小説の「大菩薩峠」は読んだことはないが、市川雷蔵主演の映画を見て大菩薩峠の名前は知っていた。しかしそれは小説の中の舞台で、実際に存在するとは知らなかった。その後、日本赤軍の大菩薩峠事件で甲州裏街道と呼ばれた旧青海街道に実在する事を知った。それ以来、いつかは登って見たいと思い続けていたが、
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2012年 10月 06日 10:38私と百名山

私と百名山 53.木曾駒ケ岳(2956m)(初登山日:1980年5月2日)

 北ア、南アの主な山を登り終えたあとは中央アルプスに目が向くのは当然の成り行きである。そこで木曾駒ケ岳に向かった。夜、車で出発し夜中の1時頃、伊那市に到着し仮眠。朝、バスで内ノ葦まで行く。最初の予定は桂小場までバスを予定していたが、雪で内ノ葦までしか入っていないので仕方なくここから歩く。馬返し付近か
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2012年 09月 22日 20:32私と百名山

私と百名山 52.塩見岳(3047m)(初登山日:1979年8月13日)

 私の山での最初の目標は3000m峰21座を登る事であった。最後に残った3000m峰が塩見岳である。そこで三伏峠から塩見岳―北岳を縦走する計画を立てた。1日目は塩見小屋、2日目は北岳山荘の、やや強行日程とした。  塩川土場から三伏峠までの道は、少し急ではあるがしっかりとした歩きやすい道で、天気も良
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2012年 09月 08日 14:16私と百名山

私と百名山 51.武尊山(2158m)(1979年4月30日)

 次女の名前の穂多果は穂高岳を意識して付けたが、読み方が同じ武尊山も気になっていたこともあり、この年の5月連休を利用して出かけた。上越線水上駅で降り、久保までバスに乗る。途中の藤原湖は16年前に至仏山から下山した時には紅葉の真っ盛りであったが、この時は桜が満開で目を楽しませてくれた。久保を上ノ原高原
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2012年 08月 25日 13:02私と百名山

私と百名山 50.伊吹山(1377m)(初登山日:1978年10月9日)

 御嶽登山後、妻籠、馬籠の宿を見学するが、このような観光地はこの年になると一人で歩くのがわびしくなる。10代から20代までは一人旅が良かったけれど、家庭を持った以上は家族と共に来るべきだとつくづく思った。  翌日、岐阜の近くでの仕事が14時には終わってしまった。マイカーで来ているのでこのまま帰宅す
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2012年 08月 11日 20:03私と百名山

私と百名山 49.御嶽(3063m)(初登山日:1978年10月8日)

 仕事で月曜日に岐阜に行く事になった。前日の日曜日に御嶽に登ろうと考え、土曜日にマイカーで中央自動車道中津川インターを下りて木曽福島に向かう。途中、景勝地の「寝覚の床」を見物するが、山好きな私には観光客で溢れている寝覚の床よりも裏寝覚の方が沢らしい景観で気に入った。  御嶽登山口の王滝は信仰登山の
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2012年 07月 29日 10:09私と百名山

私と百名山 48.聖岳(3011m)(1978年8月15日)

 茶臼岳から聖岳に登るために、5月の連休に歩いた畑薙第1ダムより茶臼岳小屋に向かう。茶臼岳小屋は雪に埋もれた時とは違い、明るい雰囲気の中に小屋が建っていた。  翌朝、小屋を出発すると富士山が赤く、ダイヤモンド富士が見られそうな天気であったが、尾根に上がると濃い湿ったガスがたちこめ、風も強い。そのう
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2012年 07月 14日 11:29私と百名山

私と百名山 47.光岳(2591m)(1978年5月1日)

 家から車で夜中に畑薙第1ダムに向かう。ダム駐車場には予定より大幅に遅れて2時30分に到着。車の中で仮眠して朝食後、6時に小雨の中、雨具を着込んで歩き出す。  途中の横窪沢小屋に予定よりかなり早いペースで着いた。しかし小屋から上は雪が現れ、雨で雪が腐っていて膝までもぐり、かなりの労力を使い果たす。
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2012年 06月 30日 13:16私と百名山

私と百名山 46.赤石岳(3120m)(初登山日:1977年8月14日)

 雨の止んだ悪沢岳からの展望を楽しんだ後に赤石岳を目指すが、南方面はまだガスが残っていて赤石岳は姿を見せない。悪沢岳から中岳まで、嫌になるほど下る。更に荒川小屋に下るが、この道も急で、逆コースは大変だなと考えながら歩く。  荒川小屋から大聖寺平までは平たんで、天気が良ければ気持良さそうな道だが、時
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2012年 06月 16日 09:36私と百名山

私と百名山 45.悪沢岳(3146m) (1977年8月14日)

 8年前に1度、計画したが、集中豪雨で途中断念して引き返した悪沢岳・赤石岳を、お盆休みを利用して計画した。身延からのバスを田代入口で降りて転付峠を目指して歩き出す。真夏の太陽に照らされると10分も歩かないうちに汗ビッショリとなってしまう。  家で冷たいビールを飲んでいれば良いのに、何のため自分はま
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2012年 06月 03日 22:29私と百名山

私と百名山 44.甲斐駒ケ岳(2966m) (初登山日:1977年5月4日)

 北アルプスの主な山を登り終え、南アルプスに照準を合わせて山登りを開始した。既に北岳の白根三山、仙丈岳は登っていたので甲斐駒ケ岳を最初に登ることにした。  5月2日の夜、車で走り、竹宇駒ケ岳神社に23:30に着いた。防寒衣を着込み車の中で寝るが、朝方4時頃から寒くて足の先が痛み眠れない。朝食後、駒
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2012年 05月 19日 22:50私と百名山

私と百名山 43.八幡平(1864m) (初登山日:1976年10月9日)

 勤務している工場の分工場が岩手県安代町にあったが、設備が時代の要求に合わず閉鎖せざるを得なくなった。設備の中から別用途で使用可能な部品を撤収するために、設備担当の同僚と二人で安代工場に出向いた。部品の取り外しは14時には終り、翌日、車に載せるだけとなり、時間の余裕ができた。工場管理責任者から八幡平
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2012年 05月 06日 15:58私と百名山

私と百名山42.笠ケ岳(2898m)(初登山日:1976年8月7日)  

 太郎平小屋から黒部五郎岳を越えて双六小屋に入るまでの2日間は豪雨だったが、3日目の双六小屋の朝は、小雨だったものの空が明るいので雨があがる予感がした。期待に胸を膨らませながら、双六小屋から笠ケ岳を目指して出発する。  期待通りに雨は弓折岳に着く頃はやみ、少しずつ青空が広がってきた。今回の山に入っ
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2012年 04月 21日 10:36私と百名山

私と百名山 41.黒部五郎岳(2840m) (1976年8月6日)

 前年までに北アルプスのメーンな山はほぼ登り、残っている大きい山は黒部五郎岳、野口五郎岳、笠ケ岳くらいであった。そこで以前、雲ノ平から見た印象的なカールの目立つ山姿で1度は登ってみたいと考えていた黒部五郎岳と笠ケ岳を結ぶコースを計画した。  折立から太郎平小屋−北ノ俣岳−黒部五郎岳−三俣蓮華岳−双
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2012年 04月 07日 13:30私と百名山

私と百名山40.黒岳(水晶岳)(2978m)(1975年8月9日)  

 黒岳はいまや水晶岳の名称のほうが一般的に使用されていると思う。  鷲羽岳を出発して1時間40分で水晶岳に着く。水晶岳からの展望も鷲羽岳に勝るとも劣らない素晴しいものであった。名前の由来の水晶は小さいけれど登山道沿いにも多く見つけることができた。水晶岳山頂付近よりも赤牛岳への稜線の方が多く、大きい
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2012年 03月 24日 11:56私と百名山

私と百名山 39・鷲羽岳(2924m)(初登山日1975年8月9日)

 燕岳・大天井岳・槍ヶ岳・三俣蓮華岳・鷲羽岳・黒岳(水晶岳)・赤牛岳・黒四ダムのコースを3泊4日で計画した。  1日目は中房温泉から燕山荘(燕岳往復)・大天井岳を越えて西岳ヒュッテ泊、2日目は槍ヶ岳を越えて三俣山荘泊、3日目の鷲羽岳・黒岳・赤牛岳を越えて平ノ小屋泊とした。ガイドブックのコースタイム
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2012年 03月 10日 20:37私と百名山

私と百名山 38.大山(1713m) (1975年5月2日)

 私の連れ合いの親・兄弟は現在、出雲市に住んでいる。次女が生まれた翌年の1歳の誕生日に顔見せを兼ねて出雲に行くことにした。連れ合いと子供たちは先に里帰りし、私は会社が休みになった5月1日に、今は廃止になった「ブルートレイン出雲」で行く事にした。せっかく山陰に一人で行く良い機会なので急遽、大山に登るこ
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2012年 02月 28日 22:03私と百名山

私と百名山 37.常念岳(2857m)(1974年8月7日)

 この年の5月に次女が誕生し、穂多果と名前を付けた。もちろん、穂高をもじっての名前である。私の苗字は高野なので上と下に高が付くのも嫌だったので、女の子らしい名前で字画も良く、意味のある名前と苦心しての命名であった。  そこで名の由来の穂高連峰の写真を撮りに常念岳に登った。梓川を挟んで穂高岳の対面の
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2012年 02月 11日 21:01私と百名山

私と百名山 36.白馬岳(2933m) (初登山日:1972年8月5日)

 最近は白馬岳をハクバと呼ぶのが一般的になり、JR駅名も信濃四ツ谷駅からハクバ駅になってしまったが、我々の年代はやはりシロウマと呼んでしまう。この白馬岳に最初に登ったのは1972年の夏であった。前年に唐松岳・五竜岳・鹿島槍ケ岳を登り、次は白馬岳と決めていた。前年と同様に八方尾根から唐松山荘に入った。
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2012年 01月 28日 10:32私と百名山

私と百名山 35.鹿島槍ヶ岳(2890m) (1971年7月28日)  

五竜岳を6:45に出発し鹿島槍ヶ岳に向かう。キレット小屋への下り、後立山連峰中で一番の難所と言われている八峰キレットも、対向者が少なく自分たちのペースで歩くことができ、それほど苦労することなく鹿島槍ケ岳に11:40に到着。頂上で五竜、白馬方面の展望、目の前の剱・立山、赤沢岳・針ノ木岳に続く後立山連峰
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2012年 01月 14日 15:02私と百名山

私と百名山 34.五竜岳(2814m) (1971年7月28日)

 剱岳から穂高岳までは学生の時に縦走したが、後立山連峰は私にとって未踏の地であった。学生時代のように長期間かけて一気の縦走は時間的に無理なので毎年、少しずつ登りながら後立山連峰を制覇しようと考えた。 20歳の3月初めに、新潟県糸魚川市で日本海の水をくみ、それを静岡県浜松市の太平洋に注ごうと平地ワン
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2011年 12月 10日 09:21私と百名山

私と百名山 33.乗鞍岳(3026m)(初登山日:1969年7月21日)

 乗鞍岳は私にとって特別な山となった。 1969年の7月に彼女と二人で平湯からバスで、畳平に着いたのは15時近くであった。そのまま肩の小屋まで上がり、宿泊の受付を済ませてから頂上の剣ケ峰に登った。頂上は17時近かったこともあり誰も居なかった。彼女と二人だけでムードも出ていたので思い切って「もっと、
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2011年 11月 26日 11:21私と百名山

私と百名山 32.鳳凰山(2841m) (初登山日:1969年5月3日)

 1日目、戸台から丹渓山荘に入り、丹渓新道で仙丈岳を往復した。2日目は丹渓山荘から北沢峠、仙水峠、アサヨ峰を超えて早川尾根小屋泊。途中の仙水峠からの眺めは目の前に甲斐駒ケ岳摩利支天がそそり立ち、後を振り向けば仙丈岳と素晴しい景観で、私の好きな峠の1ツとなった。  早川尾根の栗沢山、アサヨ峰等のピー
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2011年 11月 12日 15:15私と百名山

私と百名山 31.仙丈岳(3033m)(登山日:1969年5月1日)

 最初に仙丈岳に挑戦したのは大学卒業した年の8月、ワンゲル部で同期だったSさんを誘って出かけた。当時、北沢峠までの南アルプス林道は開通しておらず、長野県側は戸台から、山梨県側は広河原から歩かなければならなかった。われわれは戸台から入ることにした。  出発3日前から下痢がひどく体重が3Kgも減る絶不
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2011年 10月 29日 07:45私と百名山

私と百名山 30.天城山(1407m) (初登山日:1969年4月26日)

 ある時期、伊豆の入口、静岡県駿東郡清水町に住んでいたこともあり天城山は近く、良く出掛けた。最初に天城山系に足を踏み入れたのは1963年の夏に、大学のグループで伊豆一週の徒歩旅行をした時だった。この時は天城トンネルから入り、八丁池にテントを張ったが山には登ることはなかった。最初に天城の山に登ったのは
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2011年 10月 15日 19:45私と百名山

私と百名山 29.甲武信岳(2460m) (登山日:1968年9月15日)

 この年の8月末、次男である私は悩みに悩んだ末に、家の事情で東京の大企業を辞めて実家から通える地方の中小企業に転職した。自分に言い聞かせて、納得ずくで田舎に戻ったものの自分の結婚のこと、親のことなど悩みは尽きなかった。悩み、迷いを吹っ切るために、転職2週間目ではあるが山に出掛けたのが甲武信岳であった
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2011年 10月 08日 14:24私と百名山

私と百名山 28.間ノ岳(3189m) (初登山日:1968年7月30日)

 1968年7月30日に雨の中、北岳を登り、中白峰を通過して間ノ岳(あいのだけ)に登ったのが最初であった。北岳の頂上と同じく雨の中をあっけなく着いてしまい、何の感動も無いまま農鳥小屋に向かった。11年後の8月に塩見岳から間ノ岳・北岳まで縦走した。そのときは快晴で安倍荒倉岳付近からの大きな間ノ岳が印象
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2011年 09月 17日 12:41私と百名山

私と百名山 27.北岳(3192m) (初登山日:1968年7月30日)

 北岳は近いこともあり、地元の富士山に次いで多く登っている山である。上の娘が大学生の時、北岳山荘で2年間、夏季アルバイトで御世話になったこともあり、北岳は私にとって親しみ深い山である。  最初に訪れたのは1968年の夏、大学のワンゲル部の後輩と二人で大雨の中を登った。2日前から大雨の続いていた19
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2011年 09月 03日 11:13私と百名山

私と百名山 26.金峰山(2595m) (初登山日:1968年3月24日)

 瑞牆山を往復して富士見平小屋を出発したのは、14:25になってしまった。少し進むと雪道になるがトレースがあり、雪に足を取られる事無く意外と楽に進む。しかしいい気になって歩いていると時々、ブスッと、太ももあたりまで潜り込む。それでもコースタイムの半分で大日小屋(無人)に15:10に着いてしまう。この
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2011年 08月 20日 17:00私と百名山

私と百名山 25.瑞牆山(2230m)  (初登山日:1968年3月23日)

 ほとんどの人が瑞牆山は金峰山とセットで登るのではないかと思うが、私も金峰山に登るときに立ち寄った。会社に入り、職場実習を1年間し、正式に配属されることになっていたが実習先の職場の人達が、私が会社の山岳部に入っていたことも有り、金峰山に行くので一緒に行かないかと誘ってくれた。喜んで同行させて貰うこと
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2011年 08月 06日 13:18私と百名山

私と百名山 24.丹沢山(1673m) (初登山日:1967年11月23日)

 丹沢山塊を最初に訪れたのは、大学のワンゲル部OB東京支部会を大山で開催したときであった。大山町の獅子山荘に泊まり遅くまで飲み明かし、少し酒が残る身体で翌日、大山に登る。塔の岳まで行く予定だったが大山下山後、途中の富士見山荘でビールを買い込み、再び宴会となってしまった。塔の岳は中止してヤビツ峠に戻り
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2011年 07月 23日 12:45私と百名山

私と百名山 23.八ヶ岳(2899m)  (初登山日:1967年10月15日)

 私が最初に八ヶ岳を訪れたのは、社会人1年生の秋だった。大学の現役のワンゲル部が秋の合宿で八ヶ岳を計画しているのを知り、逆コースで歩けば途中で会えると考えて甲斐大泉―天女山―権現岳―キレット小屋(泊)−赤岳―硫黄岳―天狗岳―白駒池(泊)―松原湖のコースを計画した。  小海線の大泉駅から6:30に歩
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2011年 07月 09日 06:48私と百名山

私と百名山 22.雲取山(21018m)  (登山日:1967年5月14日)

 この年の4月に大学を卒業して東京の会社に就職した。社会人になったら学生時代のように山には行けないなと覚悟はしていた。しかし田舎育ちの私にはビルに囲まれ、山が間近に見えない東京の生活には物足りなさを感じていた。山に出かけようと思ったが仕事もまだ研修中であり、都会の生活に慣れるのが先だとの思いでなかな
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2011年 06月 25日 14:25私と百名山

私と百名山 21.穂高岳(3190m) (初登山日:1966年8月7日) 

 槍ヶ岳登山後、穂高岳に向かった。大喰岳、南岳の3000m峰を越えて大キレットを下る。大キレットはそれほど危ないとは感じなかったが、年輩の登山者が平気で石を落としていくので落石が怖かった。滝谷上の飛騨泣きノ嶮は大きなキスリングザックのタッシュ(ポケット)が岩に当たり、バランスをくずしやすいため危険を
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2011年 06月 18日 05:59私と百名山

私と百名山 20.槍ヶ岳(3180m) (初登山日:1966年8月5日)

 前年、風雨の連続で剱岳―穂高岳の縦走を途中の薬師岳で断念せざるを得なかったリベンジに、この年の合宿にも参加した。入山後8日目、順調に日程を消化し三俣山荘のテント場に暮営。早い夕食後、皆で三俣蓮華岳まで散歩にでかけた。ガスの中に槍ヶ岳・穂高岳が浮かび上がる幻想的な光景に、剱岳からここまで来て、明日、
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2011年 06月 11日 06:20私と百名山

私と百名山 19.飯豊山(2128m) (登山日:1965年10月11日)

 飯豊連峰を秋合宿に計画した。福島県山都部落−三国岳−飯豊本山−御西岳−大日岳往復−北俣岳−門内岳−杁差岳−山形県大石部落のコースである。メンバーは6人の愉快な仲間である。  初日は山都にバスで着いたのが20:20。一ノ木部落まで歩き、21:40に到着。 2日目は一ノ木−川入−横峰−地蔵山−三国
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2011年 06月 04日 16:46私と百名山

私と百名山 18.利尻岳(1718m) (登山日:1965年8月26日)

 日本最北の地である宗谷岬や稚内公園等を見学して、翌日、7:50の船で利尻島鷲泊に向かう。船からは洋上のピラミッドの利尻岳が近づいてくるのが見え興奮してしまった。船の揺れるのが面白くて、調子にのり船の舳先の方に行き、揺れに伴い大きく上下する利尻岳を見ていたら完全な船酔いで、気持ち悪くなり吐いてしまう
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2011年 05月 28日 07:32私と百名山

私と百名山 17.大雪山(2290m) (登山日:1965年8月23日)

 羅臼岳登山後、原生花園や網走等を見学して、大雪山に登るため層雲峡行きバスに乗り換えようと石北本線上川駅に下りると、後輩のO君が居る。O君は旭川出身で私と同じ大学のワンゲル部に属し、私より1年後輩である。この時の北海道旅行では大雪山だけは当初から登る計画であり、日程をO君に伝えてあったので、帰省して
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2011年 05月 21日 05:06私と百名山

私と百名山 16.羅臼岳(1661m) (登山日:1965年8月20日) 

北海道に入ってから9日目、羅臼のユースホステルで目が覚めると雨が降っている。この日予定していた羅臼岳登山は翌日、ウトロ登山口から登る事に変更。羅臼発12時の船で知床半島を回りウトロに行くことにして、眠りなおす。9時近くに起きると空が明るくなってきたので急遽、予定を当初計画に戻し、9時すぎに小雨の中
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2011年 05月 14日 04:47私と百名山

私と百名山 15.阿寒岳(1503m) (登山日:1965年8月18日)

 夏合宿で北アルプス縦走を途中で断念せざるを得なかった欲求不満を解消するために合宿終了後、北海道一人旅に出かけた。観光中心であったが当時、カニ族と呼ばれた大きなキスリングを背負って、ユースホステルを中心に18日間も歩き回った。阿寒湖に着いたのは北海道に入って6日目の夕方である。最初は阿寒湖観光だけの
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2011年 05月 07日 09:35私と百名山

私と百名山 14.薬師岳(2926m) (初登山日:1965年7月24日)私と百名山 

 この年の7月20日、天気予報で風雨強く、登山者は行動を慎むように放送していたがなんとか立山を登り、五色ケ原にビショ濡れになりながらもテントを張った。翌21日も梅雨末期の集中豪雨で風雨強く、停滞せざるを得なかった。古い屋根型の木綿のテントは雨漏りがひどく、中で傘をささなければならない状況である。昼過
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2011年 04月 30日 06:38私と百名山

私と百名山 13.立山(3015m) (初登山日:1965年7月20日)  

 剱岳登山の翌日、雨とガスの中、立山に向けて剱沢のテント場を出発。何も見えない石のゴロゴロした道をただ歩くだけの単調なアルバイトは疲れを増す。別山、富士の折立、大汝山への道は思っていたより急で、バテル者が出始めた。途中、休憩を取るが寒く、震えでゆっくり休む事もできない。ビショ濡れになりながらやっと雄
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2011年 04月 23日 06:43私と百名山

私と百名山 12.剱岳(3003m) (初登山日:1965年7月19日)

剱岳から穂高岳までの縦走を夏合宿として計画した。12日間の大縦走である。7月17日、勇んでパーティー6名で出発。美女平ケーブルに乗り、40Kg以上のキスリングの荷物代が高い事に驚く。バスに乗り継いで風雨の強い中、室堂に着いたのが16:38。この日のテント場の雷鳥平に向けて歩き始めたがガスが非常に濃
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2011年 04月 16日 06:44私と百名山

私と百名山 11.谷川岳(1963m)  (初登山日:1965年5月31日)

 友人であり先輩でもあるI氏に誘われて、5月の終りに谷川岳に出かけた。土合駅に向けて電車に乗り、しばらくしてから前日買い出した2人分の食料を部屋に忘れてテントしか持ってこなかったことに気が付いた。怒るI氏をなだめすかしながら慌てて家に戻り、出直して土合駅についたのは16:50。この日は西黒尾根の取り
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2011年 04月 09日 06:35私と百名山

私と百名山 10.巻機山(1960m) (登山日:1965年5月2日)

 5月の連休を利用して春合宿に巻機山を計画した。清水集落―井戸尾根―巻機山―割引岳―上長崎のコースを計画したが、割引岳から上長崎のコースは荒れていることが知られており、雪の状況も心配だったので4月27,28日に私とY君の二人が偵察隊として様子を見てくることになった。  尾根は痩せており雪が多く、雪
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2011年 04月 02日 06:22私と百名山

私と百名山 9.蔵王山(1841m) (初登山日:1965年3月3日)

 蔵王と言えば樹氷を思い出す人が多いと思う。私も蔵王を最初に訪れたのはスキーが目的であった。ワンゲル部で一般の学生を集めて毎年、3泊4日のスキースクールを蔵王で開催していた。50〜60人程度の応募が有りスキーの上手い部員がコーチになり教えるのだが、スキーの下手な私は皆の宿のお世話など裏方の雑用係とし
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2011年 03月 26日 06:44私と百名山

私と百名山 8.月山(1980m) (登山日:1964年10月16日)

 同じクラスでワンゲル同期のI氏に誘われ、二人で月山を訪れた。I氏は社会人で、国内留学により大学に派遣されてきていて私より6歳も年上であるが、年長ぶることもなく我々に接触してくれた兄貴分である。会社で山岳部を経験していて山の経験も豊富で、山のことはもとより私生活においてもいろいろと指導していただき、
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2011年 03月 05日 05:54私と百名山

私と百名山 7.至仏山(2228m) (初登山日:1963年10月14日)

 夏合宿のコースでは至仏山が含まれていなかったので、秋合宿には至仏山を含むコースを選択した。最初の予定は大清水−物見山−鬼怒沼−黒岩山−尾瀬沼−尾瀬ヶ原−至仏山−笠が岳−湯ノ小屋温泉コースであったが鬼怒沼で新雪に遭い、10cmほど積もった。、前年の遭難のこともあり、慎重を期して鬼怒沼から標高の低い日
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2011年 02月 26日 06:48私と百名山

私と百名山 6.燧岳(2346m) (初登山日:1963年7月26日)

 奥白根山登山後、菅沼に下山し翌日は丸沼、四郎峠を越えて根羽沢でテントを張り、26日に大清水から三平峠を越えて尾瀬沼長蔵小屋テント場に着いた。これが私の尾瀬デビューとなった。三平峠から少し下ったところで見た尾瀬沼を前にした燧岳は形も良く見事である。深田久弥も書いているように「尾瀬沼から燧岳をなくした
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2011年 02月 19日 07:05私と百名山

私と百名山 5.奥白根山(2578m) (登山日:1963年7月24日)

 ワンゲルに入部して最初の夏合宿に参加した。当時のワンゲルはすごい人気で、この夏合宿に参加した者は90名以上であった。そこで12パーティに分けていろんなコースから最後に尾瀬に集中する方式となった。  私のパーティは11人の大世帯で足尾銅山のある間藤線終点から歩き始め半月峠−中禅寺湖−千手ケ原−戦場
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2011年 02月 12日 07:23私と百名山

私と百名山 4.魚沼駒ケ岳(2003m) (初登山日:1963年7月12日)

 大学入学後、山に関係するクラブに入りたくて、当時人気の有ったワンダーフォーゲル部に入部した。実は私の入部前年の10月14日に山岳部1人、ワンゲル部1人、ヨット部1人の1年生3人が部に不届けで八海山〜中岳〜駒ケ岳(魚沼三山)縦走の個人山行を行い、吹雪により駒ケ岳山頂付近で2人が遭難死する事故が発生し
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2011年 02月 05日 07:39私と百名山

私と百名山 3.阿蘇山(1592m)  (登山日:1963年4月2日)

 霧島山登山後、高千穂峡で天岩戸などを見学して、阿蘇山を訪れた。当時、東洋一と言われていた阿蘇山ロープウエーで中央火口丘の淵まで上がる。噴火口からすごい量の噴煙が噴き上がっている。活火山の噴煙を初めて間近に見てその迫力に圧倒された。  観光客はほとんどの人がここだけ見て引き返すが、霧島山で山の素晴
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2011年 01月 29日 13:33私と百名山

私と百名山 2.霧島山(1700m) (登山日:1963年3月31日)

 高校を卒業して大学合格の連絡を貰い、入学式前に一人旅をしたくなり、何の計画も立てずに九州を一人で2週間近く歩き回った。無計画で効率も悪く、無駄も多かったが始めての一人旅であり多感な18歳の青春を満足させてくれた有意義な旅になった。  鹿児島桜島を観光し宮崎鵜戸神宮、青島を見てから駅のポスターの霧
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2011年 01月 22日 08:26私と百名山

連載継続

 数年前に書きとめていた「私と百名山」をある目的で地元新聞社のOBである友人に渡した。それを読んだ友人が地元の新聞社に持ち込んでしまい、新聞に連載することが決まってしまった。私の備忘録的な内容なので最初は躊躇したが連載を承諾した。今までの文章を1200字以内に纏め直して最初の10山分を新聞社に渡し、
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