次女の名前の穂多果は穂高岳を意識して付けたが、読み方が同じ武尊山も気になっていたこともあり、この年の5月連休を利用して出かけた。上越線水上駅で降り、久保までバスに乗る。途中の藤原湖は16年前に至仏山から下山した時には紅葉の真っ盛りであったが、この時は桜が満開で目を楽しませてくれた。久保を上ノ原高原に向けて出発したのは14時近くになっていたが、天気も晴れて気持が弾む。
登山道に入り名倉沢沿いに雪渓を登る。2〜3人の先行トレースが付いていたのでルートを見失うことなく安心して登ることができた。この日の宿泊予定の手小屋沢避難小屋には17:30に着く。付近は1.5m位の雪が残っていた。狭い小屋には先に6人居たが、遅かった私のスペースはなく、入口付近の雪が吹き込み凍った場所で寝る羽目になってしまった。それでも野宿よりはましだと寝たが、やはり寒くてあまり眠れなかった。
夜明け前から降り出した小雨の中、出発。尾根に出ると風が強く、みぞれになる。雪がザラメでそんなに潜る事も無い。沖武尊に着いても寒いのでゆっくりとできない。
前武尊への縦走路は風の無い側は、たとえみぞれが降っていても楽しくなる。私は本格的に山に登り始めた学生時代を豪雪地の新潟県長岡市で過ごした。従って魚沼三山、谷川岳、尾瀬周辺などの上越の山々が活動の中心であった。卒業後は次第に北や南アルプスが中心になり、武尊山は久しぶりの上越の山である。歩いていて靴の底から伝わってくる雪の感触はまさに10年以上前に味わった上越の雪の懐かしい感触なのだ。私の山の原点は上越の山である。
その原点の山に戻ってきた感じがして、天気が悪くてもうきうきしてきた。剣ケ峰から前武尊への下りの岩場はアイスバーンになっていたが、短い距離なのでアイゼンはつけず慎重に下る。前武尊では武尊の像は半分以上が雪に埋もれていた。
花崎口分岐まで霙の中、快適におり、分岐から花崎口まではグリセードを楽しみ名がら一気に下る。シーズンオフのゴーストタウン化したスキー場に着く。しかしオフのためバスはなく、更に1.5時間歩いてやっと最奥のバス停に到着。しかしここからは鎌田行きしかなく、沼田行きは先の武尊入口で乗り換えなければならない。雨の中、バスを待っていても仕方がないので国道120号線の武尊入口までさらに歩く事に決め、10分くらい歩いていると後から来たライトバンが停まり、乗せてくれると声を掛けてくれた。運転していたのは20代前半の若い人で、スキー場ロッジで働いていて横浜に帰る途中とのこと。人の情けはありがたく、厚意に甘えて沼田駅まで乗せてもらった。昔はこのように地方の山に行くと、頼まなくても地元の人が車に乗せてくれることが多く、まだ人情が残っていた。
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私と百名山 51.武尊山(2158m)(1979年4月30日)
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