当時、土曜は休みでなかったので、土曜の夜行で東海道線・身延線・中央本線・小海線と乗り継いで信濃川上駅に6:50についた。1年ぶりの小海線は、西側の八ヶ岳は雲に隠れて見えなかったが東南方面はよく見え、甲斐駒ケ岳をはじめとする南アルプス、雲海の上に富士山が浮かび心を和ませてくれた。川上からバスで梓山に着き、8時過ぎに歩き始める。
少し歩くと高原状の戦場ヶ原に入る。レタス等の高原野菜が1面に広がり農家の人が忙しく刈りいれ作業をしている。そんな景色が田舎に戻ったばかりの私の心に共鳴して癒してくれた。しばらく行くとカラマツ林の美しい毛木場平で林の中に馬が放牧されていて、私の地元、朝霧高原の草原の放牧と違った趣を感じた。しかし良かったのはここまでで、ここから先は展望もなく、ただ樹間を登るだけ。体調は悪く足が重い。何か食べたら良くなるかと梨を食べてみるが一向に元気が出ない。これでは途中で引き返さなければならないと考えながら歩く。千曲川の源流と思われる所も、ただ通りすぎるだけで何の感慨も湧かない。
なんとか頂上に着くが雨が降り始めたので急いで甲武信小屋に潜り込み、昼食とする。一時、激しく降った雨も昼食が終り出発するときはやんでくれた。
相変わらず調子が出ない状態で木賊山を越えて戸渡尾根を下る。下りになれば少しは体調も楽になると考えたが変わらず、早く着かないかなと気ばかりがあせる。そんなに汗もかいていないのに喉が渇いてたまらない。ヌク沢に着いたときは、もう下らなくても良いとホットする。ここからバス停のある広瀬部落まで長い道を歩かなければならないと覚悟していたが、ハイキング客の多い西沢渓谷の荊平臨時バス停からバスに乗ることができ、歩くのが1時間半くらい短くなったときは、体調の悪い疲れた身体にはありがたかった。
体調は悪かったが歩いているときは、ただ前に歩を進めることだけしか考えないので余分な悩み等は消え去り、それなりに有意義な山行であった。
山中ではただ歩くのみで、いろんな思索はできないが、帰って書いた甲武信岳の日記に「他人は現実からの逃避を目的とする者には山は登れないと言う。私は何かを捨ててきたく、あるいは自分を変えるきっかけとして山に登る事がある。他人からたとえ非難されようと私は逃避のために山に登り続けるであろう。しかしその逃避は自己からのものではない」と記してあり、当時の苦悩が思い出され今は1ツの想い出になっている。
こんばんは。
ヒデさんの苦悩を推し測る由もありませんが・・・マイカーを持たない時代の山登りの苦労は良くわかります。
昔は会社が終わってから夜行列車で登山口に向かったものだという先輩の話を良く聞かされました。
我々が社会人になったのが土曜休日制の走りの頃で当時はまだ隔週の週休二日制。
今では学校も週休二日の時代ですから・・・本当に隔世の感がありますねぇ。
そのような、時間にも交通手段にも不自由を強いられた時代の山歩き。
本当に強い目的意識がなければ続けられなかったのではと思い、ヒデさんの意思の強さには頭が下がります。
fujinohideさん今晩は、この頃はまだ甲武信岳や国師岳を中心にした秩父の山を歩いていた人が多かったですね、
今は車で川上から入って往復するのが中心ですね、ヤマレコでも最近は奥秩父縦走は載っていないですね、
当時は皆、車など無く夜行も人で一杯でしたね、あの時の山の苦労を知っている方が段々少なくなっていますね、
丹沢を終えたら次は奥秩父や谷川へと云うのが当時の会では順序でしたよ、
北アや劔は合宿以外は簡単には計画をたてられなかったですよ、(費用も含めて休みが無いので)
fujinohideさん、こんばんは。
私はこの6年後、高校1年に登りました。
当時の写真と比べると、山頂の標識が全く同じものでした。
(落書きはされていましたが)
私も同じように信濃川上まで列車を乗り継ぎ、
バスで梓山まで向かい、そこからキャベツ畑の中を歩き始めたことを覚えています。
私の場合は十文字峠経由でしたが、今でもいい想い出の山行です。
賢パパさん、こんばんは。
昔は日曜日だけでしたから、土曜の夜行で出かけ、日曜の夜行でかえって、そのまま勤務が普通でしたね。
山に行くのに便の悪い地域にいましたから、それが当たり前で特別、苦労したとかの感じは当時はありませんでした。
仕事が忙しく日曜出勤も当たり前の状況でしたから、休める日曜は無理してでも山に行っていました。
若い情熱がそうさせたのでしょうが。
今は楽なことばかり考えて計画してしまいます。
naiden46さん、こんばんは。
当時は、確かに奥秩父は結構人気がありましたね。
合宿などで奥秩父縦走しているサークルも多かったように思います。
最近は学生でないと奥秩父全山縦走の時間が取れないかもしれませんね。
当時上野や新宿で夜行の席取りのため、随分早くからホームに陣取っていた人が多かったですが、今はどうなんでしょうかネ。最近は私も車中心で夜行は使用しなくなりました。
Akanekoさん、コメントありがとうございます。
最近は西沢渓谷の人気から甲武信ケ岳は西沢側から登る人が圧倒的に多いようですネ。
川上側も今思えば、良いコースのように思え再訪したいと考えています。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する