2〜3年、合宿に参加し、ある程度は滑れるようになったが、スキーで山に入ると皆に付いて行くのが精一杯である。それでも晴れ間に妙高山が顔を出すと、1度は登ってみようと心に刻んだ。
その決意を忘れていた訳ではないが、機会が無く時間がたち、20年後の1982年5月の連休にやっと妙高に登るべく出掛けた。信越本線の夜行で妙高高原駅に着くとすぐに燕温泉行きのバスが接続していて、燕温泉を6時30分には歩き出すことができた。こぢんまりとした温泉街を抜けて雪の登山道に入る。
5月の連休ではあるがこの当時は第1次登山ブームもすたれて入山者が少なく、トレースもはっきりとしていなかった。地獄谷を過ぎて樹林帯の急登を赤布の目印を頼りに、雪に足を取られ、時には腰まで雪を踏み抜きながら登るが、そのうちに赤布もなくなりルートを外したようである。天気もみぞれ混じりの雪が降り始め良くない。視界の利かない中、懸命に1時間ほどルートを探すが分からず、天候も悪化の兆しなので、時間は早いが潔く断念して登って来たトレースをそのまま引き返した。
20年間の夢は簡単に破れてしまったが、そのリベンジするために同じ年の8月に再挑戦した。同じく6時30分に燕温泉の薬師堂の脇から登山道に入る。2合目の香蘭荘で連れ合いが作ってくれた朝食の弁当を食べる。光明滝、称名滝を見ながら、前回は雪で見えなかった硫黄の臭いのする地獄谷を通って天狗平への急登を登る。
5月の時は、この登りでルートを見失い引き返したが、夏ならば道を外す心配はない。光善寺池(7合目)の横を通過し9合目の鎖場を越して最後の急登を登りきったら妙高南峰山頂。残念ながら雨が降りそうな曇天で周りの景色は見えなかったが、20年前にスキー場から見た妙高山の頂に立っただけで満足であった。
全国の山を雑誌等で見て、行きたい山を物色し、数年計画で今年はこの山、来年はあそこの山と計画し夢見るのは、山好きに取っては1番楽しいことである。雨男で天気に恵まれることの少ない私はそのように計画した長年の夢が実現しその頂に立てれば、たとえ天気が悪くて展望がきかなくても、その山に親しみ、歩いたことで満足してしまう。
写真:妙高山山頂
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