大峰山系を代表する山上ケ岳に登ろうと計画するが富士宮からはアプローチが大変である。私は車の運転は苦にならないので遠方の山でも車で行くのが常である。しかしこの時は当時の山日記に理由は書いていないが、なぜか電車で行くことにした。
名古屋に出て、近鉄で2回乗り換えて下市口へ。ここからバスで登山口のある洞川温泉まで1時間20分ほど要した。バス停には予約していた旅館のご主人が車で迎えに来てくれていた。洞川には古い旅館、宿坊が立ち並んでいるが、私が宿泊した旅館もその1軒である。9月23日の大峰山閉山後のためか宿泊客は私だけであったが、大峰山をお祭りしていると思われるりっぱな仏間で食事をしながらご主人の話を聞くと、以前ほどではないけれどシーズン中はかなり混みあうとのこと。
翌朝、3.4Km先の登山口までご主人が車で送ってくれた。昔は日本各地にあった女人禁制の山も解放され、いまだに守っているのが唯一、山上ヶ岳だけであり、洞川登山口には女人結界門の石碑と看板が立っている。
小雨の中、傘をさしながら登山道を進むと、大峰山は蛙の天下であった。道に沿ってかなり上まで10cm位の大きな蛙が数十匹ほどいて、時には踏みそうになる。黒や緑色などのいろいろな蛙がいた。ほとんどが動くことも鳴くこともなくジーっとしているので場所柄、雨に打たれる修験僧のように見えた。
途中に茶屋が数箇所あるがシーズンオフのこの時は閉店していた。各茶屋の真中に道が通っていて、それぞれに夏の講登山の新しいお札が多く貼られ、今なお盛んなことが分かる。有名な「西ノ覗き」の岩壁を覗いてみたがガスで下は見えず、それほどの恐怖感は無かった。
頂上のすぐ下にはりっぱな宿坊が数軒建っていて夏には団体客などで一杯になるようである。山頂の大峰山寺本堂も当然、シーズンオフのため扉を閉めたままであった。私は大峰山の信者でないが、声を出して般若心経を唱え、色々と願いことをする。すると雨もあがり青空も顔をのぞかし始めた。お参りしたご利益かなと思いながら広いお花畑と称される笹原の中、三角点を探し回る。木立の前に発見し、満足して来た道を戻る。下山途中でこの日、始めて2組のパーティに出会った。時季が少し外れると大峰山でもこんなに人が少ないものかと思いながら下る。帰りは登山口から洞川温泉まで歩き、洞川温泉センターで汗を流してからバスの人となった。
大峰山系の奥駆け道は全長170Kmにもおよぶという。深田久弥「日本百名山」の大峰山は八経ケ岳の標高1915mが記されている。従って1719mの山上ケ岳を登っただけで大峰山に登ったとは言えないかもしれないが、私は大峰山系を1番代表する山上ケ岳に登って良しとした。
fujinohide さま
まいどです。
13年も前の山行。
いつも詳しい記録ですねぇ〜
昨日のことのような気がします。
電車で行く山。
昔は当たり前でしたね。
以前も書いたと思いますが、私は新宿駅階段で、ホームでキスリングに腰かけて電車待ち。
高校生なのに缶ビールにお酒もって
旅している雰囲気も味わえて
講登山の華やかしい頃、古の頃は地元からずっと歩いてであったことを考えると旅は一大イベントですね。
今はほんとにお手軽で存分に楽しめますが。
満足感はどうなのかと感じてしまいます。
散文ですみません
芋さん、こんにちは。
私らが山を始めたころはマイカーはとても買えず、鉄道の旅ばかりでしたよネ。
それもバス網もあまりなく、駅から歩きはじめ駅まで歩くのが地方の山では当たり前でした。
人間、楽を覚えるとすぐにそちらに流され、楽に、楽にと考えてしまいます。私などその最たるもので車で行ける所まで行くようになってしまいました。
いつも自分の山行のときと比較して楽しんで読んでます。
このレポは一昨日だったかな、新聞記事でも見ました。
toshiさんこんにちは。
そうなんです。富士宮の地元の小さな新聞社から、縁が合って2週間に1度の間隔で連載を依頼されて書いています。この新聞は最近富士市のほうにも拡販しているようなのでtoshiさんの目にとまったことと思います。
同じものをヤマレコで紹介させてもらおうとヤマレコ日記に載させて貰っています。
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