最初に訪れたのは1968年の夏、大学のワンゲル部の後輩と二人で大雨の中を登った。2日前から大雨の続いていた1968年7月28日、雨に降られることを覚悟して新宿を出発した。しかし広河原までの野呂川林道がこの日、土砂崩れで通行止めになってしまった。
仕方なく芦安村の桃の木鉱泉に泊まる。宿で情報を聞くと、車は通れないが注意して歩くならば人は通れそうだとのこと。翌日、夜叉神峠まで宿の車で送ってもらい、雨の中を峠から広河原に向かって歩く。峠から1時間半ほど歩いた所で土砂が崩れて林道が10mぐらい埋まっている。崩れた跡を慎重に通過する。雨の中をただ黙々と歩き、広河原に到着。休憩後、樹林帯の中を、御池小屋に向かう。小屋は天候の悪い事もありがらすきであった。
翌日、前日に比べれば雨脚は弱くなっていたが相変わらず雨である。小太郎尾根までの草すべりの道を雨の中、滑らないように注意して登る。多くの高山植物に元気付けられながら歩くが、雨ではゆっくりと鑑賞する気になれず、ただ歩くのみ。北岳頂上は雨の中で展望も無く、登った感激も無いままに間ノ岳に向かった。この日は農鳥小屋まで行き泊まる。翌日の下山するときになって雨が止み、奈良田に着いて初めて青空が顔を覗かした。
北岳の頂上から展望が楽しめたのは1979年8月14日であった。三伏峠から塩見岳・三峰岳・間ノ岳を越えて2日目に北岳山荘に泊まった。翌日、北岳頂上で御来光を拝むために山荘を早く出発。天上には雲1ツ無い快晴の中、雲海からの御来光と富士山をはじめ、鳳凰三山、甲斐駒、仙丈、間ノ岳、塩見、荒川三山の南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、中央アルプス、北アルプスの展望を思う存分に楽しむことができた。頂上はかなりの人が居たが有名な駄じゃれ「ここまで来ただけ(北岳)のことはある」を皆が連発していた。
家族で登ったのは二人の子供が12,14歳になった1986年の夏、広河原から八本歯のコル経由で北岳山荘に泊まり、北岳・間ノ岳を往復した。この時は少し遅かったもののお花畑にいろんな種類の花が咲き乱れ、花の北岳を実感する事ができた。
北岳はどこから見ても格好良く見えるけれども、深田久弥も書いているが甲斐駒ケ岳から鳳凰三山に続く早川尾根からの北岳は素晴しく、まさに絶品である。5月に仙水峠から鳳凰三山に抜けたことがあったが栗沢の頭、アサヨ峰、早川尾根の頭、高峰などの早川尾根のピークから見る北岳は、仙丈岳・農鳥岳・鳳凰三山からの少し丸みを帯びた三角錐とは違った鋭い頭角を持ち上げており感動的ですらあった。
写真:朝の北岳山頂と影北岳
こんにちは。
北岳は甲斐駒の次に好きな山です。
以前は奈良田からマイカーで広河原まで行くことが出来たので割と楽に登ることが出来ましたが、今ではマイカー規制により行きにくくなってしまいました。
予備知識なしで登り、昼過ぎには広河原まで下ってしまいましたが・・・もう少し下調べをしていたら間ノ岳まで行って来れたかと思うと悔いが残ります。
ヒデさんは前に一度、危険な目に遭われたんですよね。
賢パパさん、おはようございます。
北岳も日帰りができるようになり、行く回数も増えました。
2年前にキタダケソウを見に登ったとき、八本歯のコルへの雪渓を先行者のトレースを歩き、間違えてしまいました。
そのときに50m位先の先行者がスリップして、私のすぐ脇を滑落していきました。あやうく巻き込まれるところでした。
幸い、滑落した人も大怪我ではなく歩ける程度でしたが。
人の多い北岳だから雪渓でもルートが明確だろうと甘く考えていて失敗しました。
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