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裂石から上日川峠に向けて車を走らせていると土砂崩れで途中、通行止めになっており、やむを得ずそこに車を置いて林道を歩く。40分も歩いたら上日川峠の長兵衛山荘に着いた。ここから気持の良い道を福ちゃん山荘経由で、雷岩まで上がる。
ここからすぐ先の大菩薩嶺は展望の無い樹間に三角点だけがある面白味のない地味な山頂である。しかし雷岩から御坂山塊上の富士山がその分を補って余る展望であった。
ここまで来たらすぐ近くの大菩薩峠に行かないわけにはいかない。峠を経由して長兵衛山荘に戻り、林道を歩いて駐車場所に12時30分には着いてしまった。足慣らしには少し物足りなかったが、天気も良く春の山をのんびりと楽しむことができた。
二回目の大菩薩嶺は5年後に、やはり5月連休前の足慣らしに、会社のハイキング同好会のメンバー6人+私の二人の娘で歩いた。この時は上日川峠まで車で入ることが出来たが、路の悪い箇所があり、メンバーの新車の底を擦りながらの走行となり、事前調査不十分との文句を聞きながらのアプローチとなった。
大菩薩嶺から笹子雁ケ腹摺山・滝子山まで続く尾根を小金沢山塊と呼びようである。そこでこの山系の盟主とも言える小金沢山を登ったついでに隣の大菩薩嶺を久しぶりに訪れたのは、さらに23年後の10月であった。小金沢山は静かな山で、出会ったのは一人だけであったが、やはり人気の大菩薩嶺は以前よりも人で溢れていた。
しかし歩いていて何か昔のイメージと違い、しっくりしない。それは以前には無かった眼下の日川ダムによりできた大菩薩湖であることに気が付いた。過去の2回は素晴しい富士山を望めたがこの日は雲の中で、自然と目が大菩薩湖に注がれたため余計に違和感を覚えたのかもしれない。
ダムによりできた湖は場所によっては周りの風景に溶け込んでおり、最初に訪れたならば違和感を覚えることなく、景色の一部として受け入れてしまうであろう。しかし、昔見た景色が変わり、前のほうが良かったという年老いた登山者のエゴ・郷愁だけではなく、江戸時代に甲州街道の裏街道として人目をはばかって抜けたであろうこの道に、前にはなかったあまりに大きなコンクリートのダムと人造湖は似つかわしくないと感じてしまったのである。
写真:大菩薩峠
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