乗鞍岳は私にとって特別な山となった。
1969年の7月に彼女と二人で平湯からバスで、畳平に着いたのは15時近くであった。そのまま肩の小屋まで上がり、宿泊の受付を済ませてから頂上の剣ケ峰に登った。頂上は17時近かったこともあり誰も居なかった。彼女と二人だけでムードも出ていたので思い切って「もっと、もっと大きい山に一緒に登ってほしい」というような意味のプロポーズをした。
私の条件としては結婚しても山には行くことを認めてもらうことであった。それに対して彼女の返事は厳冬期の雪山だけは行かないことを条件に承認してくれた。こうして今の連れ合いと一緒になったが、山に関しては本当に感謝している。時には子供、連れ合いと山に登ったが、圧倒的に一人で行くことが多く、連休のたびに家族を置いて出掛ける私に、少しの文句は言うものの弁当など用意して送り出してくれた。家族の理解と協力があったからこそ標高ベスト百山や深田久弥の日本百名山も達成でき、48年間、山に登り続けることができたと、口には出さないけれど本当に感謝している。
この時の乗鞍岳はプロポーズすることばかりで頭がいっぱいとなり、景色などはあまり覚えていない。翌日、五の池経由で畳平に戻ったが、ガスがかかり展望が利かなかったことと、夏の最盛期であるにもかかわらず、肩の小屋はそれほどの混雑でなくゆったりと寝ることができたこと程度しか記憶にない。
その22年後に会社のハイキング同好会で美ヶ原にキャンプに行ったとき、大雨のためテントを張らず、民宿に宿泊した。翌日、時間があったのでドライブで乗鞍岳を訪れた。まだ夏のマイカー規制がされておらず、畳平まで車2台に分乗して上がり、剣ケ峰までのハイキングを楽しんで帰った。このように時間に余裕がないときでも気軽に行けるのが、乗鞍岳の良いところである。
乗鞍岳は頂上直下まで車が入り、登山の対象と言うよりも観光地化したことに登山者の多くは嘆く。しかし私は悪い事ではないと考えている。3000mのアルペン的な展望や万年雪、高山植物は登山者だけが独占すべきものではない。足の弱った人や子供にも解放され、自然の素晴しさに感動してもらう事は良い事だと思う。
大正、昭和初期の日本近代登山幕開け時に比較すれば、山奥まで車が入りアプローチの容易さは雲泥の差である。われわれ、現在の登山者はそれを当たり前のように利用している。登山者は自分達が便利になった公共機関のアプローチを利用し、あるいは自家用車を利用して車で行けるところまで入っておきながら、その道が頂上近くまで開かれると山が俗化され観光地化されたと文句を言うのは、登山者のエゴだと私は考えている。
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私と百名山 33.乗鞍岳(3026m)(初登山日:1969年7月21日)
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夫婦物語・・・すごいですね〜感動です
私方も夫婦で百名山挑戦中ですが、まだまだ手が届きません
夫婦・互いに健康であればこそ、挑戦できることと思って、焦らず・慌てずボチボチ登ろうと思っています
ibuki89さん、コメント有難うございます。
他人様にお話しするようなことではありませんが、山には正直でありたいと考えており、あえて書きました。
連れ合いからあまり変なことを書かないように今回の内容でクレームがついてしまいました。
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