若い頃、キャンプなどでよく歌った「シーハイルの歌」が青森県五所川原農林高校スキー部の部歌で、「岩木のおろしが吹くなら吹けよ、山から山へと我等は走る・・・・」と詠われた岩木とは岩木山のことだと知ったのはこの頃であった。そこで青森県の2ツの著名な岩木山と八甲田山に登りたくなり、少し遠いが出掛けることにした。郡山の住まい近くのICから東北自動車道に入り、話し相手も居ない中、黙々と約450Km余を運転し岩木山神社に着いたのは8:50である。
岩木山神社は東北の山の小さな神社と想像していたが、広い参道に土産物屋まである大きな神社であることに驚いた。その後テレビで旧暦の8月1日に「お山参詣」が行われ地元の多くの老若男女が岩木山に登り、五穀豊穣を祈念する様子を見るたびに、岩木山神社が東北地方を代表する立派な神社であることが理解できた。
私達が近くの富士山を毎日眺め、親しみながら故郷の山と感じているように、津軽の人達にとっては岩木山こそ故郷の山・おらが山と感じて大事にしていることが分かる。
神社の鳥居越に岩木山が見える。今日の山行が良き山旅になることを神社に参拝・祈念してから神社左脇を岩木山に向かう。桜の名所の神苑桜林公園からスキー場を横切って進むが、暑さに慣れていない身体は異常なほど汗が噴出し、体調は最悪である。焼止り避難小屋まで風がそよとも吹かない蒸し暑い林の中、バテバテになりながら登った。
小屋の少し先の大沢には雪渓が残っており、種蒔苗代近くまで雪渓上を歩くことができ、それまでの林の中に比べて涼しく息を吹き返す。それにしてもこの年は雪が多かったとはいえ、1625mの山で真夏に雪渓の上を歩くとは思いも寄らなかった。そのため、もう遅いかなと諦めていたのに、種蒔苗代で岩手山固有種のミチノクコザクラの花を数株であるが見ることができたときは感激した。
種蒔苗代の先の鳳鳴ヒュッテまで来れば山頂は近いと言い聞かせて、バテた身体を引きずるように頂上へ向かう。しかしヒュッテから上は急に濃いガスで覆われてしまい、山頂からは何も見えなくなってしまった。山頂の岩木山神社奥宮で体調の悪い中、なんとか山頂まで登らせてくれたことに感謝し、また帰りに長い距離を運転するため交通安全のお守り買う。
下山路は岳温泉に下り、汗を流す計画をしていた。しかし体調がかんばくなく、バテバテなため、無理をしないで鳳鳴ヒュッテ先の八合目から津軽岩木スカイラインの路線バスで岩木山神社に戻った。
翌日は八甲田山を登る予定であったが、この日のような体調ならばやめることも考えながら、とりあえず宿泊を予約していた酸ケ湯温泉に向けて車を走らせた。
fujinohide さま
いつも詳細な記録です。
一回一回大切に歩かれたことがわかります
見習いたいと思います
還暦間近になり、充実の山歩きは何かを考えたくなってきました。
自分の山歩きがまだまだ定まってないことが如実にわかります。
でも、絶対に帰宅への準備だけは怠りたくありません
どこかで富士山遭難の論議がされていますが、帰宅できなければ、帰宅しなければ、、、できない場合は山に向かう準備不足と思いたい。そんな気持ちがさらに強くなっております。
・・・実力と自らの限界の間で。
とは別に酸ヶ湯が出たら黄金崎不老ふ死も行ってみたい
芋さん、いちも有難うございます・
私が山を始めた前年にワンゲル部の先輩が遭難死して入部早々に捜索、慰霊碑を山頂に建立などを経験しているために山の死はいつも考えさせられます。
部では梅雨時にはシュラフ1ツで1人でビバーク、雪山で雪洞ビバークの訓練等、死なないための訓練をしました。山に行くときはいつも最悪のことを想定して登るようにしています。しかしどんなに訓練したベタランでも山の死は起こりえます。私も滑落など経験していますが運がただ良かっただけだと思っています。
不老不死の温泉は白神山に登った時に立ち寄りましたがものすごい暴風雨で風呂には入れませんでしたので再訪したいと思いつつ実現できていません。
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