22日、濡れた冷たい服に着替えて小雨の中を出発。雷鳥やお花畑を見ても、2日間のテント雨漏りのため睡眠不足で皆の足取りは重い。のろのろと越中沢岳を越えて間山手前のスゴのテント場にテントを張る。23日も風雨強く停滞。合宿に入ってからラジオでは「風雨強いので登山者は行動を慎むように」としか言わない。スゴのテント場はあまり良くなく、23日の雨ではテントの下が川の状態となり、着替えや寝袋まで完全に濡らしてしまった。6名のメンバーのうち私とI氏以外の4名は精神的にも、体力的にも完全に参ってきている。やむなく穂高岳までの縦走を断念して、24日に薬師岳を越え、折立に下山する事を、リーダーの私は決断せざるを得なかった。
24日、霧雨の中を薬師岳に向かう。北薬師岳を通り過ぎて薬師岳の登りにさしかかるころから青空が広がり、頂上に着いたときは見事に晴れ渡った。北アルプスの中心である薬師岳からは剱・立山方面、後立山連峰、槍・穂高の北アは全て見える。南アルプス、富士山が雲海の上に浮かぶ。やはり山は天気が良くなければと思う。槍・穂高を見ていると昨日の決定を覆して合宿を続行したくなる。しかし台風が日本に接近してきており梅雨前線が再び活発になることも予想されたので、泣き泣き、25日に折立に下山した。
翌年の1966年に再度、夏合宿で剱―穂高縦走に挑戦した。前年の合宿に参加して、屈辱を晴らすべく今年も参加したのはI氏と私の二人で、他の4人は北アルプス初挑戦であった。順調に工程をこなしてスゴにテントを張った夕方、I氏と二人で間山に登り、赤く燃える日没を見ながら、今年こそは完全縦走が出来そうだと喜んだ。
しかしその晩、I氏が急に腹痛を訴え、苦しそうだ。薬師岳をなんとか越えて太郎平小屋まで頑張ってもらい、診療所の医者に診てもらう。急性胃炎らしく、医者は下山を勧める。医者も一人でも下山できるであろうとのことなので、嫌がるI氏を小屋に残して薬師沢に下りテントを設営。
翌日は雨のため休息を兼ねて停滞し、翌々日、出発の準備をしているとI氏がひょっこり現れる。様子をみるために下山せずに小屋に泊っていたら腹痛が治まったので、皆に追いつこうと朝早くに太郎平小屋を出発してきたとのこと。I氏の完全縦走に対する執念が実を結びその後、痛みも出ることなく無事、穂高岳まで縦走し上高地に着くことができた。
写真:45年前の薬師岳山頂での写真
レトロで男前の写真と、I氏の執念に拍手
jinzaemonさん、おはようございます。
上杉鷹山のなせば成るではないですが強い意志を持っていれば達成できるものだとI氏を見て、思いましたネ。
奥多摩日誌をいつも読ませてもらっています。
hotaka iさん、初めまして。
私と百名山を読んでいただきありがとう御座います。
これは小さな地方紙に隔週で連載しているもので字数の関係で、内容的に書き足りない面もありますが、ご容赦下さい。
いづれ、穂高の項で出てきますが娘に穂多果と名付けていますので、hotakaとつくと勝手に親近感を抱いてしまいます。今後とも宜しくお願いします。
山の名前から取ったお名前の人は何人か知っていますが武尊のホタカさんは初めてですネ。
てっきり穂高さんだと思いました。
私と百名山は新聞社OBの私の友人が、勝手に新聞社に持ち込んでしまったもので連載が決定してしまい、苦労しています。
小学生の作文以下の文章ですが昨今の山ブームに新聞社ものったものだと思います。
まだ先が永いので気が重いですが頑張ってみます。
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