翌日、山ノ鼻から至仏山に朝の元気な内に登り頂上に着いた。1988年以降、この山ノ鼻−至仏山コースは登山道が荒廃して自然保護のために閉鎖されたが、私たちが登ったときも道は深くえぐられた溝状になって、相当、傷んでいた。頂上では朝早く寒くてじっとしていることができずにすぐに出発。至仏山から笠が岳、片籐小屋までは意外とあっさりと着いてしまった。尾瀬沼周辺の紅葉も見事であったが湯ノ小屋温泉への下りは本当に素晴しく、紅葉の美しさをあらためて認識した。しかし道はものすごく急な下りで、ここを登るのは大変だろうなと思いながら歩いた記憶がある。
湯ノ小屋温泉の手前でマムシを捕まえ、夕飯に皆で焼いて食べた。私が子供の頃、マムシは精力をつけ、マムシの皮を傷の部分に当てると薬になると親が常時、家に置いていたので私は平気であったが、他のメンバーは少し尻込みをしていた。温泉で30円の入浴料を払い、汗を流し合宿最後の夜を楽しんだ。
大学4年の時、春合宿の4月30日に再度、山ノ鼻を訪れた。鳩待峠下からスキーを履いて山ノ鼻に下ったが、荷物を30Kg以上背負ってのスキーである。ボーゲンで下っても少し傾くとすぐに転倒。一度、転んだら起きることはできない。荷物を降ろし体勢を整えて立ち上がり、荷物を担ぎ滑り始めるがまた転倒。私のようにスキーの下手な者にとってはスキーを脱いだほうがはるかに楽であった。山ノ鼻周辺はまだ2m近い雪で埋もれている。
翌日、スキーを担ぎ、至仏山に登り、頂上で登山靴をスキーに履き替え、山ノ鼻に下った。私にとってはゲレンデ以外の山スキーは初めてであり、陽の当たった所と日陰の雪質の差に戸惑いながら、スキーをするより転げ落ちたと言ったほうが正しい。特に山ノ鼻近くの林間になると、木にぶつからないようにヘッピリ腰で転んでばかりいた。
次の日は山ノ鼻からアヤメ平に登り見晴十字路に下って、白一色の尾瀬ヶ原を自由にスキーで歩き回り山ノ鼻に戻った。時間があったので再度、至仏山に登り、スキーを練習することにした。前日と変わりスキーにも慣れ、大自然の広いスロープを好き勝手に滑り、山スキーの醍醐味を思う存分に味わうことができた。
至仏山は紅葉の美しさ、山スキーの苦しさ、爽快さを私に教えてくれた山である。
写真:尾瀬ヶ原からの至仏山
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