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上越線の夜行に乗り、朝早くに越後湯沢に到着。1番のバスで祓川まで行く。林道を和田小屋近くまで歩き、小屋からスキー場の端を登ると湿地帯になる。湿地帯は神楽ケ峰まで2〜3カ所に存在していたが花はあまり咲いておらず、期待外れであった。しかし神楽ケ峰を通過し岩の急な道を登りきると、そこは池塘が点々とある広々とした苗田となり、別天地の山頂は雑誌で見た写真の通りに花が咲き乱れていた。
広い原の一角から赤湯温泉への急な道を下る。赤湯温泉に16時に到着し、さっそく河原の露天風呂に入る。当時の風呂はお粗末な目隠しが1枚あるだけの川淵の露天風呂で、熱ければ川の水を入れる野趣あふれる秘湯で最高に気に入った。
次に苗場山を訪れたのは1989年の5月に会社のハイキング同好会のメンバ−7人とであった。前回と同じ、祓川から赤湯温泉に抜け、赤湯温泉の素晴しさを皆に紹介するために計画・実行した。
さすがに豪雪地だけあって5月でもスキ−場は営業していてリフトで下ノ芝まで上がる。神楽ケ峰を過ぎて最後の雪の急登にかかるころから曇り空だった天気が急変し雪となってしまった。苗場山の頂上一角に到着したときは吹雪となり、ホワイトアウト状態で数m先も見えない。赤湯温泉泊まりの計画で寝具、充分な食料を持ってこなかったため遭難の文字が頭にちらつく。
大学でワンゲル部に入っていた若手に、すぐ近くにあるはずの小屋を捜しに行かせる。とにかく5分間だけ捜し見つからなかったら同じルートを引き返すように指示した。ホワイトアウトの状態で広い原をむやみに歩き回ることは危険なので、自分の歩いたトレースが降雪で埋まる前に戻る事が必要だからである。
小屋が見つからなければ来た道を引き返すつもりでいたが、幸いに苗場山頂ヒュッテを見つけてくれた。ヒュッテは軒下まで雪に埋まり、2階の窓の1カ所だけが雪面から出ていた。窓を留めてあった釘を外して中に入る。小屋には布団や石油ストーブもあり、ありがたく使わせていただいた。
翌朝、快晴の天気になり、20cmほどの新雪で山頂は白1色の原となっていた。ヒュッテの窓を元通りに釘で固定して、外に出て新雪と思う存分に戯れる。 赤湯への下山ルートを捜すがはっきりしないので往路を戻ることにした。下山途中、この山行で初めて、登ってくるパーティと出会った。なんとそのパーティは私の地元の富士宮山岳会の人たちで、お互いに奇遇を驚いたものである。
写真:神楽ケ峰からの苗場山
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