出発3日前から下痢がひどく体重が3Kgも減る絶不調であったが、下痢も治まってきたので大丈夫と判断して出掛けたのが間違いだった。無風の戸台川沿いの道を直射日光に照らされ歩いていると、汗がひっきりなしに滝のように流れ、水を飲んでも吐き気がする。丹渓山荘で昼食を摂るが食欲も無く、身体が重い。6合目まで恍惚状態で歩くが5〜10分も歩くと座り込み眠たくなる。熱中症になってしまったようだ。同行のSさんの判断で下山することにした。
下りでも10分も歩くと吐き気がして倒れそうになる。このままここで寝たら気持ちよいだろうなとの誘惑が強くなる。そのうち木が人に見え、鳥の声が人の声に聞こえたりする幻覚に悩まされる。これがバテルということなのか。それまでに同行者が意識を失い突然、動かなくなってしまったことを2回、経験していたが、このときの私はその1歩手前であった。幸いSさんの好判断・リードにより丹渓山荘まで下ろしてくれたから大事に至らなかった。
私はこのとき、体調不良時の登山の無謀さ、体力の限界を身に沁み込ませた。これ以降、歩いていて体調不良や疲れ具合から、これ以上無理すると倒れるなという前兆のようなものが分かる様になり、その時は潔く下山することにしている。
リベンジ山行は2年後の1969年5月に単独で行った。5月なので戸台川沿いの道も熱中症にかかることなく、丹渓山荘に10時35分に着く。当初の予定では初日は北沢峠まで、2日目に仙丈岳を往復し、3日目に鳳凰三山を抜ける計画であった。しかし丹渓山荘の人から、この時間ならば今日中にここから仙丈岳を往復できるから行ってこいと勧められる。天気も良いし後の工程を考えて、キスリングを置いてサブザックで往復することにした。
夜行で来て、ギュウギュウ詰めの電車の中、偶然に山の先輩と会い、話しに夢中になり一睡もしていない身には疲れが早い。16時半まで登り、頂上に着かなくてもその時点で引き返す事に決め、焦らずに進む。
雪庇が崩れた後の直角に近い雪の壁をピッケルで保持しながら越えるような箇所もあったが15:50、無人の山頂に着く。20分程度、頂上に居て下山開始。カールを一気にグリセードで下る。暗くなってきたのでヘッドライトを着け、18:30に丹渓山荘に戻った。
その後も仙丈岳に挑戦したが、大雨のため頂上を断念して引き返さざるを得なかった。仙丈岳は結局3回挑戦して、私を1回しか頂上に立たせてくれなかったが、私に体力の限界を教えてくれた山である。
hotaka iさん、コメント有難うございます。
山は私にとって、友であり、師であり、医者だといつも思っています。
師として色々と教えてもらいました。人生哲学、仕事の進め方、人との付き合いかた、リーダーシップのありかたなど数えたらきりがありません。この歳になってもまだ山から多くのことを教えてもらっています。
仙丈岳に花を見に行ったときに大雨で引き返さざるを得ず、まだ、仙丈の花畑はお預け状態です。
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