飯豊連峰を秋合宿に計画した。福島県山都部落−三国岳−飯豊本山−御西岳−大日岳往復−北俣岳−門内岳−杁差岳−山形県大石部落のコースである。メンバーは6人の愉快な仲間である。
初日は山都にバスで着いたのが20:20。一ノ木部落まで歩き、21:40に到着。
2日目は一ノ木−川入−横峰−地蔵山−三国岳(三国小屋泊)。三国小屋は荒れていて水場も離れているうえに、ポタリポタリと落ちる程度の水量で、貯めるのに時間がかかった。小屋に着くと初雪が降り始める。
3日目、雪は上がり、紅葉の上に新雪が積もった様子は本当に見事で全員、勇んで出発。
しかし飯豊本山にかかるころは、また雪となり寒い。飯豊山神社で暖まるために御汁粉を作り食べたが、甘いものの苦手な私でも、冷えた身体には最高であった。
ブッシュの上に雪が積もり、非常に歩きにくい。頑張っていた先頭を行くK君が御西小屋の手前で急に倒れてしまい、意識もうろうとして、いくら声をかけても動けなくなってしまった。仕方なく小屋まで運び込んで寝かせ、まだ11時半であったが計画を変更し御西小屋泊とした。
4日目、飯豊連峰の最高峰である大日岳に御来光を拝みに出かける。あいにく薄いガスがかかっていたが、昇る太陽でガスが黄金色に輝き、神秘的で厳かな感じがしてなんとも言えない雰囲気であった。そしてブロッケン現象をこのときに初めて見たのである。
大日岳だけに大日如来が後光をさして現れたのかと思えた。それが私の影であり、私の影に黄金の輪が御仏か神様のごとく後光となって輝いていることが分かり、初めての経験で本当に感激した。その後の長い山生活でもブロッケン現象を見ることができたのは、このときも含めて3回だけである。
次第に風が出てきてガスを吹き飛ばして快晴となる。頂上に40分ほど居たが寒い。御西小屋に戻り、出発。幸いにK君も元気になり新雪と紅葉の素晴しい展望を楽しみながら天狗岳、烏帽子岳、北俣岳を越えて門内岳(門内小屋泊)に順調に14:20に着く。夜は新潟方面の街の灯りが見え、感傷的な気分になり皆で山の歌を歌って過ごした。
私に取ってこの3〜4日目は、今までの48年間の山生活でも本当に最高の2日間であったと思っている。初夏の残雪と御花畑が評判の飯豊山であるが、私は夏に登っていないため比較は出来ないが、秋の飯豊山も最高だと思う。
5日目も快晴で、地神山付近から雪は消える。最後の杁差岳から今まで歩いてきた飯豊本山からの尾根筋がくっきりと見え、名残を惜しみながら大熊小屋に下っていった。
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日記
私と百名山 19.飯豊山(2128m) (登山日:1965年10月11日)
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