平成元年(1989年)は3回しか山に登れず、本格的に山に登り始めてから1番山行回数が少ない年になってしまった。前年、母親が入院し、当時は完全看護の病院が無かったため、寝返りをさせたり下の世話をするために24時間、誰かが付いていなければならなかった。最初は家政婦さんを頼んでいたが、私の1ケ月の給料が全部その費用で消えてしまうため、昼間は連れ合いと父親で交代で看て、夜は私が泊り込みで看ることにし、病院から会社を往復する生活が1年間近く続いた。
母親が亡くなり、七七日忌を済ませた11月に気分転換に、以前から登りたいと考えていた両神山に出掛ける。両神山の登山コースでは1番両神山らしい岩場の連続する八丁尾根コースを計画。
この当時はまだ雁坂トンネルが開通していなかったため、富士宮から八丁峠登山口の落合橋まで行くには、大回りして清里から信濃川上・三国峠経由で中津川林道に入って行かざるを得なかった。三国峠を過ぎると大きな穴ボコだらけの道で、何回も車の底を擦りながらの走行した。今ならば雁坂トンネル経由で2時間半程度の所を4時間もかかっている。
9時に落合橋を出発して八丁峠に向かう。峠から西岳・東岳へは岩場、鎖場の登り降りが続く。しかしそれほど難しい危険な岩場も無く祠のある両神山剣ケ峰山頂に11:35着。薄曇りであったが頂上からは奥秩父の山々、八ヶ岳・佐久の御座山方面が見渡せる。遠く富士山も雁峠の上に、この時期にしては真っ白な雪をかぶった頭を出していた。狭い山頂も登山者は4名しかおらず、片隅でゆっくりと展望を楽しみながら昼食を食べることができた。
下りは頂上を少し梵天尾根の方に下った所から直接に落合橋に下れる、金山沢右俣左沢の最短コースを降りる。このコースは途中、分かりにくいところがあり、現在は地元警察が通行止めにしているようだ。しかし私が下ったときは特別迷うような所もなく、危険箇所も記憶がなく、落合橋に1時間弱で着いてしまった。
来るときは運転に集中していて周りを見渡す気持の余裕がなかったが、帰りは気分的にも時間的にも余裕ができ、あらためて見ると中津川渓谷はちょうど紅葉の盛りで、赤を中心とした彩が見事であった。三国峠までのダートな道も、帰りは気が楽である。
三国峠で休憩して後を振り返ると、両神山が足元より低いような感じで目線の下に見えた。帰宅後、調べると三国峠は標高1740mと、1723mの両神山より高いことが分かった。車で高い峠を越して下り、車で通過した峠より低い山に歩いて汗を流し、苦労して登山したことに気分的にしっくりとこない、奇妙な感じが残った山行であった。
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私と百名山 63.両神山(1724m)(1989年11月4日)
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ヒデさん、こんばんは。
中津川林道、懐かしいです。
ワタシが初めて両神山に登った時は、小鹿野町納宮から峠越えをしたのですが、白泰山に登った時に、この林道を通りました。
あの林道は有料林道だったんですよねぇ。デコボコ道、今も同じなんでしょうか?。
toshi-17さん、こんにちは。
私は両神付近はこの時の1回しか訪れていませんが、中津川林道は有料だったんですか?
私は料金を払った記憶がないのでこの当時はすでに無料開放されていたのかもしれません。
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