私が本格的に山に登り始めた1963年の前年に焼岳は大噴火をして以降、ずっと登山禁止になっていた。河童橋から見た梓川の上に噴煙を噴きながらそびえ立つ焼岳は絵はがき的ではあるがいつ見ても素晴しく、登れるものならば登りたいと思い続けていた。1991年に2393mの北峰まで登山禁止が解除される。2455mの最高点である南峰はまだ崩壊の危険性が高いため立ち入り禁止であるが、火口壁の北峰まででも登れればと機会をうかがっていた。この年の5月の連休に単身赴任先の郡山から富士宮の家に戻ったついでに焼岳に登ることにした。浅間山のように一時的に登山禁止が解除されてもまた噴火し、再び登山禁止になるかもしれないので登れるときに登っておこうとの思いであった。
雲1ツ無い快晴の中、出発。田代橋を渡り西穂高岳への分岐を過ぎてから、この道で正しいのか不安になりながら先を急ぐと焼岳登山口の標識があり一安心。しかし登山口から先の林の中は固い雪道となり、落ち葉や木の実で黒くなっていて、ルートが非常に分かり難く神経を使う。樹林帯を抜けると雪渓を歩くようになるが所々に落石があり、その部分はどうしても急ぎ足になってしまう。焼岳小屋跡(中尾峠)に出ると笠ケ岳、双六、槍ヶ岳の西鎌尾根が目の前に開けて感動する。
風はかなり強くなってきた。頂上へは雪の無い滑りやすいガレた道を登る。沢を越えて雪渓を登ったらすぐに2393mの北峰頂上であった。頂上近くは硫黄臭が鼻をつき、触れる岩肌が熱い。頂上に着いたときは雲がかなり出てきたが噴煙の間から乗鞍岳、御岳を見ることができた。
最高点の南峰方面にも踏み跡があるので行きたい誘惑に駆られる。しかし立ち入り禁止である以上、守らなければならない。私はいつも「登山者(山男)である前に社会人であれ」と山の後輩に言っている。立ち入り禁止区域に入ったり、高山植物を採取したりして社会の規範・ルールを無視する登山者も残念ながら見受けられるが、1社会人として山に入っても守るべきことは守らなければならない。日本百名山マニアには立ち入り禁止の伯耆大山剣ケ峰に登ったり、登山禁止期間中に浅間山山頂に登ったりする等、規制を無視する人もいるが私は一応、規制は守ってきたつもりである。今回も最高点は諦めて来た道を下山する。
帰りはウエストンのリリーフを見て、新しい橋に付け替え中の河童橋に向かう。何回も上高地に来ているがウエストン広場を回るのは始めてである。バスで上高地に降り立っても観光客と一緒に上高地をのんびりと散策する気になれず、すぐに目的の山に向かってしまうからである。夏と違い観光客も少なかったこともあり、観光客に気兼ねすることなく上高地を歩くことができた。
「登山者(山男)である前に社会人であれ」
よい言葉をありがとうございます。
ittaさん、ありがとうございます。
私の年代では周りに山に入れ込んでしまい、大学中退したり、会社を止めたりする人を多く見てきていますので、先ずは生活の場として社会人として確立してから山へ行けと言ってきました。山に入れ込み過ぎる人を決して否定するのでなく、それはそれで素晴らしいことですが後輩たちには周りから認められる社会人になってほしいとの親心です。
大正・昭和の近代登山黎明期には山に登る人は社会でも大活躍し認められている人が多かったのですが、今は時間的・精神的に余裕が無くなったのでしょぷかネ。
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