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沼津から寝台特急出雲に乗り込み米子で降りる。米子駅で登山服、靴に着替え、ピッケルを持ち、土産などの残りの荷物をコインロッカーにしまって、バスで登山口の大山寺に向かう。大山寺の登山口を出発したのは9:30であった。30分程度で大山神社奥宮に着き、参拝してから登り始める。元谷から行者谷コースで六合目に行く。日本海に近い山なのでもっと残雪があるかなと予測したが新潟、上越地区の山に比べて雪は少ない。それでも沢筋には雪がかなり残っていて、ピッケルを持ってきて良かったと思った。
天気は曇りであったが5月の雪で柔らかくなっていたのでアイゼンは着けなかった。私の本格的な山の出発点は新潟県で、雪に慣れ親しんでいたこともあり、雪山では冬山でもよほどクラストしていてアイスバーンになっていない限り、アイゼンを着けることはない。頂上には正午前に着いたが、付近はガスがかかり、視界はきかなかった。雪はほとんどなく、剥き出しになっていた「大山頂上1710.6m」のプレートの写真を撮って同じコースを下山した。
急に大山登山を計画したので大山についてほとんど調べずに登ってしまったが、その後調べると、大山の最高峰は剣ケ峰で1729mであるが、崩壊が進んで弥山から先は登山禁止となっており、弥山を仮の大山頂上としていることを知った。私が弥山に着いた時はガスで回りがほとんど見えなかったため大山頂上1710.6mのプレートを見て、ここが大山の最高峰と思い、下山してしまった次第である。本当の大山山頂の剣ケ峰を踏んでいないが剣ケ峰は登山禁止でもあり、弥山を大山頂上とし大山を登ったこととして自分を納得させている。
山に登る者は登山者の前に社会人でなければならない。山行記録を見ると登山禁止を無視して登っている記録も散見されるが、登山者が増えて崩壊が進む恐れがあるために登山禁止になっているのならば、登山者のエゴで社会のルールを破ってはいけないと私は日頃から考えている。この時に知っていたとしても弥山から引き返していたであろう。
下山後、米子に戻り、着替えて出雲の連れ合いの実家に向かった。出雲市に滞在中、市の外れから遠く大山を見ることが出来たが、それは大山寺から見た荒々しい北壁の面影は全然無く、出雲富士と呼ばれているにふさわしい、富士山を小さくした感じの均整の取れた円すい形の山だった。
その後、出雲への行き帰りに何度も大山を見ているが、再訪の機会を得ていない。
写真:大山弥山山頂の標識
おはようございます。
大山は山陰出張の折に何度か見たことがあり、バランスの取れた美しい山容に魅力を感じました。
いつかは登ってみたい山の一つですね。
kenpapaさん、こんばんは。
私も、出雲へは良く行くのですが、その後、大山に登る機会がありません。
電車車窓または車からいつも眺めながら素通りです。
途中の氷ノ山にも登りたいと思いつつ、子供たちを連れての出雲参りですので時間が取れず・・・。
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