朝日岳は私にとって縁遠い山であった。最初に登ろうと思ったのは大学4年の秋季合宿である。しかし学業をサボっていた私は卒業研究が間に合わなくなり、合宿参加を断念せざるを得なかった。2回目は1997年の秋に計画したが、寒冷前線が東北地方を通過し大雪の荒れた天候が予想され、計画を中止した。更に1998年の秋、3回目を計画し夜中に郡山を出て朝日鉱泉に向かった。しかし途中の朝日川沿いの林道が少し前の大雨で土砂崩れのため通行止めとなっていて、泣く泣く郡山に引き返した。
そして1999年、5月末に計画したが部下のお父さんが亡くなり、葬式に参列しなければならずまたまた断念。もう朝日岳は縁がないと諦めかけたが気を取り直して翌週の土曜日、 大朝日岳だけでも登ろうと午前1時50分に郡山を出発し、朝日鉱泉には4時30分に到着。
朝日鉱泉からガスの切れ間に大朝日岳のピラミダカルなピークが目に入り気合が入る。 視界が利かない無風の林の中をただひたすら登る。コブシ、ツツジ、山桜が盛りであるがブトの大群がまとわりつき、追い払うのに気を取られ花を楽しむどころではなかった。コイワカガミ、ハクサンイチゲなどもきれいに咲いていたがブトが気になり、落ち着いてカメラを構えることもできない。ブトを追い払いながらガムシャラに歩いていたら長命水も気が付かずに通り過ぎてしまった。大朝日岳の山頂が見えるようになるとブトもいなくなり山歩きに専念できるようになる。
しかし、長年の執念が実りやっと大朝日岳山頂に立つことができたというのに、この時はガスで回りは何も見えなくなってしまった。ガスは晴れそうもなく、追い続けてきた恋人に振られたような気分で大朝日小屋に向かう。管理人はまだ入っていなかったが気持の良さそうな小屋で、日帰りの計画でなければ泊まってみたくなるような小屋であった。
小朝日岳に向かう途中の銀玉水付近で雪渓歩きとなる。ピッケルを持って来たかいがあり、それほどの急な下りではないが、グリセードのまね事を楽しみながら下る。
鳥原山まで下るとガスも取れ、展望台から大朝日岳・小朝日岳・竜門山の朝日連峰がきれいに見え、「頂上では展望を見せてやれなかったが良く来てくれたね。」と話しかけられているように思えた。この素晴しい展望を見て長年の宿題がやっと終わったうれしさが沸々と湧いてきた。鳥原山周辺の湿原には水芭蕉も咲いており、6月初めで花には早いと期待していなかったが朝日鉱泉までいろいろな初夏の花を楽しみながら歩くことができた。
寝ないで車を運転してきて仮眠も取らずに10時間強の山歩きはさすがに疲れたが、朝日鉱泉で汗と疲れを取り、大満足して郡山への帰路に就いた。
大学の3年生の時に友人たちが山へ行く支度をしているのを見て「どこへ行くのか?」と訊いたのが私の山との付き合いの始まりでした。
ザックから靴から全て借り物で2泊3日の縦走に連れて行ってもらい山歩きの楽しさを教えてもらいました。
あれがなかったら今の自分があったかどうかわからないと思うと感慨深い山行でした。
賢パパさん、こんにちは。
私も当初は大鳥池まで縦走を計画したのですが大朝日岳のみとなってしまいました。
山屋さんには山にのめり込むきっかけとなる山が必ずありますよネ。
私の場合は霧島の韓国岳でした。
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