ここから種池小屋まで3時間40分のコースタイムなので、名残を惜しみながら次の冷池小屋に向かう。1時間少しで冷池小屋に着く。「缶ビール有ります」の札がかかっている。今ではほとんどの山小屋でビールを売っているが、この当時は北アルプスでもアルコール類を置いてあるところは珍しかった。そのため、毎日晩酌をしてアルコールの抜けない私は日本酒の1升瓶担ぎ上げていた。五竜小屋で連れと二人で半分空けて、残りを種池小屋で楽しむ予定であった。しかし、「缶ビール有ります」の札を見ると、汗をかき喉がカラカラの身体が盛んにビール、ビールと叫ぶ。まだ爺岳を越えなければならないので、ここは断腸の思いで諦めて先に進む。
宿泊予定の種池小屋ではビールがなく、残りの日本酒で疲れを取りながら、会社の同僚の連れと、会社にも山岳、またはハイキング同好会のようなものがあれば良いなという話になった。これがきっかけで帰ったあと、他の山好きも誘い、私が中心となり5人が発起人となってハイキング同好会を結成して広く仲間を募り、活動を開始した。
会社の規則で同好会やクラブの会長あるいは部長は管理職がなることになっていたので、言い出しっぺの私が会長を引き受けるはめになってしまった。
種池小屋に泊まった翌日、再度、爺岳に御来光を拝みに登った。爺岳頂上から目の前に、昨日、歩いてきた形の良い鹿島槍ケ岳の双耳峰が夜明け前に黒々と聳え、陽が上がるに従って赤みを少しずつ帯びてきた。この双耳峰は遠くからでもそれと判り、後立山連峰を遠望するとき、先ず連峰の盟主と言われている鹿島槍ケ岳を見つけて、周りの山座同定するのが常である。
朝の鹿島槍ケ岳も見事であったが、ここからは、なんと言っても立山連峰のモルゲンロートが素晴しく、そちらに目が奪われてしまう。
種池小屋に戻り、扇沢に下る。休暇がこれ以上長く取れなかった私を尻目に、連れは下った足で穂高岳に入っていった。
このようにして若く体力に溢れていた我々には五竜・鹿島槍ケ岳は順調にあっけなく終り、物足りなさを覚えた。苦労した覚えがないだけに、登る前の五竜・鹿島槍ケ岳に対する憧れに比べて、山の記憶自体が薄くしか残っていないのは残念である。機会を作り、もう1度は登りたい山である。
写真:朝の爺ケ岳山頂で赤く染まる鹿島槍ヶ岳をバックに
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