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しかし、山と山、山と川、川と川はぶつ切りにされたとも言える。必要以上の開発のおかげで文明から離れた長期アウトドアはやりにくい。無理に繋げないとやりにくいのがこの国の現状で、北海道においても便利至上主義の日本人が過半数を占めている以上、程度の違いこそあれ日本の他の地域と同じように感じる。
そんな日本で、開発と関係なく地形とそのままに対峙する(するべく抗う)方法。そのひとつが登山に水上移動を組み込むという方法だ。ちょっとした道路の横断やダムの迂回にさえ目をつぶれば、無理なく、「あえてやっている感」なく、活動距離と日数を伸ばすことができる。◯◯山脈縦走や××川完全漕覇というのもいいが、これらの一部にはある種の課題的な動機が見られる。自分もよくやるので否定する気はさらさらないが、一般に分かりやすすぎるゆえにちょっとした虚無感がある。言い換えると、「自分で気が付いた自分のためだけのとっておきの計画」という感覚ない。対して陸域×水域は子供の落書きの如く自由に線が引ける。また、文化や歴史、地形の成り立ちにも目を向けることで、移動すること自体にストーリー性を持たせることもできる。もちろん単純に難しさや強度を持たせたアウトドア活動も可能にする。
そんな考えでやったのが昨年のペテガリ放流祭だった。単純にバカオモロそうというのもあったが、発想の根源にはこのような考えがあったのは間違いない。実際に活動してみて、行為の「自然さ」と「移動と地形の繋がり」を強烈に感じ、行為によって逆に思考が整理される部分さえあった。
冬にも何かやりたい。山パートについては夏同様にいくら装備が重くても大抵のことは出来る自信がある。ただ、ラフトに関しては、氷点下でスキーと泊り装備を積んでいては、今の実力ではどうしても静水に限られる。そこで北海道にいくつかある火山とカルデラ湖を組み合わせることを考えた。まず第一弾として、恵庭岳ー支笏湖ー樽前風不死を計画した。
結局、記録の通り敗退という結果に終わって(終わらせて)しまった。気象や波の予測、パドリング、防水防寒の技術的な不足、掛け算するにはラフトが小さすぎ、スキーが長すぎるという装備的な不足もあった。ただ、敗退の最大の理由は、根本で解消すべきである「わざわざ繋いでいる感、そういうプレイ感」に突如苛まれて気持ちが滅入ってしまったことだったと思う。人里近く緊張感を維持しなくても済んでしまうことや、岸近くをひたすら漕ぐことに、労力の割に計画の美しさがなく、単調なところがあった。単に敗退の言い訳に聞こえるかもしれないが、今ひとつおもしろみが足りなかった。ここでいう「おもしろみ」の意味は分かると思いますが。
2月の北海道において雪上(スキー)と水上(ラフト)の掛け算は非常に難しい。濡れ+雪+氷点下で数日行動するのは厳しい。非常に神経を使い、一歩間違えると簡単に死ぬ。ゆえにあまりやられていない。その分可能性はまだまだある。今回実際に経験してみないとわからないたくさんの学びがあった。単なる山ヤや単なるカヤッカーにはこのジャンルは出来ない。まず面白いと思う人がいるかという別問題もあるが。
探検はいつの時代も競争の性質がある。いつかこの面白さに気づいた奴に先を越されるかもしれない。それでもいい。自分はしばらくこの遊び方からは距離を置こうと思う。他にいくつかある計画もとりあえず延期。そう思うほどに今回は打ちのめされた。もっと思考を熟成発酵させて、技量もつけて、来たるべき時に会心の計画をぶち込みたい。小出しの中途半端な計画で個人的未知を消費したくないから。それまでしばらくは真面目にボルダリングでもしていようと思う。
また、今回の敗退を経験して、夏のペテガリ放流祭は沢登り×川下りの親和性の高さと天気運、そして何よりもパーティー力の高さのおかげで本当にたまたま上手くいった計画だったのだろうと、今になってようやく気がついた。
私はこれを超える発想と難易度をアウトドアフィールドに求め続ける。そして真のアウトドアマン、総合格闘家(野外)になりたい。
とはいえ、究極的には何を目指し、何をしたら幸せになれるのか?北方四島縦走か?極地に何か意味を見つけるか?アウトドアではなく暮らしの純度を上げることか?はたまたこんなことを考えなくてもいい人間になることか?本題がなんなのか分からなくなる、いつものパターンに迷い込んでしまいそうなので今回はここまでに。
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