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二枚目 一人じゃ助けてくれる人などいません
三枚目 飛騨沢に響く「やっほ〜」の声・・む・むなしい・・
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単独行といえば、いわずとしれた加藤文太郎氏の名前がすぐに思い浮かぶ。
比類稀なる氏の脚力による雪山縦走を評価する声も高い。
新田次郎氏の小説「孤高の人」のすべてが真実でないことは承知だが、少なくとも経歴にウソはない。
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加藤文太郎氏は、技術者特有の職人気質的な寡黙で必要なこと以外はしゃべれないように、小説上では描かれている。
実際それに近いものがあったのであろうが、神戸の山岳会では人柄の良さで慕われていたという話も伝え聞く。
いずれにせよ初期の加藤氏が六甲を中心とした神戸周辺400里(1600Kmほど)を歩き回ったらしい。
その脚力は異常に早くて誰もがついては行けなかったとか・・
単独行の所以は、その比類なき脚力にも因を発しているようだ
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さて、技術者として沈思黙考することを生業(なりわい)とする加藤氏は、ある意味では天性の技術屋だったと推察される。
ディーゼルエンジンの燃焼効率を当時の海軍から要請されて、雪山の竪穴ビバークでの粉雪の舞う様子で、ヘッドの形状を考案した話は有名である。
ここらになると、エンジンをオーバーホールした者ならわかる話である。
燃料はインテークバルブから供給され、圧縮・爆発を経て、エキゾーストバルブへと強制排除される。
そこに渦巻く気流の入出を、加藤氏は竪穴のビバークでふたをしたところから漏れた粉雪の様相を観察しながらふたの内面の形状にて粉雪の舞い方が早くなったり遅くなったりしたのを視認したという・・
まさしく天性としかいいようのない着想である
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当時の山登りは特権階級のものであるという風潮が頑なに残っていたらしい。
その昔は、西洋では、下僕を従えて案内人を仕立てステッキで山を謳歌する豪奢なものだったようだ
案内を生業にする者からは、単独で入山する加藤氏は毛嫌いされたようだ。
山小屋の使用さえ不自由であったらしい。
ただ、今の視点でそれを「非」と断ずることはできない
先駆者に困難、苦難はつきものであり、当時は加藤氏が異端者だったにすぎないし、その是是非非は後世の判断するところであろう。
否、逆に言えばその逆境に耐えてなしえたこそ、新田次郎氏の目に留まり、その筆によって歴史に名を残すことになった。
当時でも加藤氏以外にも単独行と呼ばれる登山をした人もいたようだ。
ただ、小屋でパーティーと齟齬のないように立ち振る舞い、時には案内人を設(しつら)えながら悶着をおこさぬように心がけていたようである。
異端ゆえに目立ち、異端ゆえに誇張され、異端ゆえに注目される・・
その異端とはなんぞや・・
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小説は事実ではない。
が深層心理を事実よりも的確にとらまえる側面がある。
それは本人自身が気づかない心の真実である。
それを描ける作者を、世は「小説家」とよぶ
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加藤氏が単独行を重ねるうちに心に芽生えたもの・・
「さみしさ」である
小説では、加藤氏が小屋でパーティに加えてほしいなどと想う場面が出てくる
が、事実ではないとわたしは思う
なぜなら、加藤氏には関西に彼を慕う山仲間が大勢いるからである。
ただ、さみしさの描写としては効果的であり、的確にその心理を明らかにしていると感じる。
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さて、ここまで筆をすすめてきて、この話は加藤氏の分析ではない。
単独行の単独行を可能にする適正とは・・
それは、まさしく新田次郎氏のタイトルである
孤高の人となりえるのか・・という一点につきる
それは、企業の経営者にあい通じることである。
大企業であろうと中小企業であろうと、事実上の経営者は、孤独であり、その悩みを理解する者などいない。
すべての意見を集約しすべての事象を分析し、すべての動向を予測し、己の決断に自信をもって結果をまつ
人事を尽くして天命を待つ・・に尽きると思う
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人との交流が苦手
人との対話ができない
自分の感情を上手くつたえきれない
人の特徴は、さまざまであり同類といえども同質とは限らない
しかし、いまのいままで生きてきた生き様というものがある
それを変えるのは至難の技である。
小説では、加藤氏が単独行でないゆえの災禍のように描かれている。
これを読むにつけ冒険家から登山家へと転進して帰らぬ人になった植村氏を思い浮かべてしまう。
偶然といえば偶然で、それだけで推論すらできないことは承知である。
ただ、方向転換することの難しさと慎重さを想ってしまう
まことに俗な話で恐縮であるが、「家を買うと・・」「墓を建て直すと・・」というのは都市伝説ですまされない実話が多く存在するようだ
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孤高の人たれ!
ふふふ・・そんな高尚な気持ちなど、これっぽちもないのですがね・・
わたしの場合は・・夜間入山に付き合ってくれる人などいないので・・
と、いうのも言い訳なんでしょう
だって、夜間にうろうろ、こっちかな?あっちかな?これなんだ?む?新道か?なんて山の中自由に歩き回っているんだもん。
とてもじゃないが、お誘いして、相方の身を保証するようなこと・・できません

なんて、クソ忙しいのにストレス発散で書いてみました。
ふふふ・・山・・いいですね・・いろんな楽しみ方あって

自分の安全を担保できる範囲を知ることが最重要でしょうね
でわでわ

あれ?uedaさんの日記に今頃の時間でもコメントがついておりませんね。皆さんどうされたのでしょうか?
私も最近ですが孤高の人を何十年ぶりに読み直してみました。やっぱり脚色が強すぎるので加藤文太郎の本質がちょっと違うようにも感じました。そのディーゼルエンジンのアイデアあたりはとてもいい表現でしたね。
加藤文太郎自身が書いた単独行という本もボチボチと読みましたがこっちはこっちで参考になりました。
どちらにしても健脚であったことは確かであって、それはすごい走破力でしたね。冬はスキーを利用していたようですので山スキーを私も見なおしてみようかと思っております。
ミュウレンさんこんばんわって二時半です・・こんなときに仕事してるんですよ
文章が高尚すぎたかしら(大笑
単独行などを読むと、山レコのありがたさ、GPSのありがたさを感謝しなおしますね
おっしゃるようにシールスキーで山行してみたいです。
加藤氏はみずからスキーはへたくそと評してますが、いかほどの技術だったのでしょうかね
来シーズンは、軽いカービングにシールつけて歩いてみます(汗
先達の歩みを辿るのも教えられることがあるかもしれないですね。
山って奥深くて勉強するとキリがないですね。
だから面白いのかも・・
でわでわ
加藤さんは友人を助けるために湯俣まで行く道中に体力が消耗して、、当時は今の様に食料や装備も十分でなかったので。
>だって、夜間にうろうろ、こっちかな?あっちかな?これなんだ
まるで、徘徊?ですね。
>自分の安全を担保できる範囲を知ることが最重要でしょうね
最近の遭難・事故の多くはそれですね。無理に背伸びすると命を失う事にもなりかねません。
harukasuさん、こんばんわ
徘徊?(大笑
痴呆症かもね、だって登頂忘れてうろうろしてるんだから
夜間、とくに厳冬期はルート追うのに必死です。夏は余裕の遊び気分・・だって、どこでも寝れるしね(笑
一番たいへんなのが、融雪期でしょうね・・
単独行・・やっぱ少々痛い目に会わないと進歩しないですね(笑
でわでわ
大体、往復900km近く走っての入山です
ふふふ・・山を楽しみ切らないとね、元が取れない!(大阪人の発想だよね
自宅近くからハルカス見えますよ!お近くですか?
当方、浪速区は大国町の近くです
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