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8月15日「終戦の日」は、太平洋戦争で日本が無条件降伏した「敗戦の日」であることは、子供の頃から知っていましたが、「敗戦」を「終戦」と言い替える必要があるのか、いまだに納得がゆきません。
「退却」を「転進」と言い替えた人達の影響なのでしょうか。
私は太平洋戦争後に生まれた世代になりますが、物心がついた子供時代にはまだ戦争の痕跡が身の回りに残っていました。
日頃遊びまわる里山にも、高射砲の陣地跡だという大きな穴や、防空壕の横穴などがあり、悪童仲間と恐る恐る探検したりしました。
また観光客の集まる神社仏閣の参道や通行人の多い駅頭などには、傷痍軍人と称する人達が物乞いをしていました。
彼らは一様に白い着物を着て軍帽をかぶり、障害を受けた体の義足や義手を強調するように座り、仲間がアコーディオンやハーモニカで軍歌を演奏していました。

両親に彼らの事を尋ねると、母親からは「じろじろ見てはいけない」と言われ、父親は「あれは戦争で手足を失った人達だが、国から支給されるお金だけでは満足できないのだろう」と言っていました。
街頭の傷痍軍人は、私が中学生になる頃には見かけなくなりました。
ロシアのウクライナ侵攻など、世界ではいまだに傷痍軍人や民間人の犠牲者が量産されています。
私は、現代の戦争では当事者双方共に国力を消耗して、どちらも勝者にはなり得ないと思っています。
「いっそのこと、E sportsがあるように、ルールを決めてAIのジャッジのもと、E warで勝敗を決めれば良いのに」などと妄想しています。

【写真は小学生の騎馬戦】
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