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この人が「無人の山小屋に泊り、雨夜の寂しさを紛らわすために今習っている謡曲『隅田川』をさらっていると、外に何やら物の怪の気配を感じて云々」という話でした。

私の父方の祖父は金沢出身で、宝生流の能(舞や謡)を嗜む人でした。
その影響もあってか、伯父は囃子方の大皮(大鼓)を習得しており、父親も笛(能管)を習っていました。
伯父は大学教員のかたわら、能楽師として各地の能の会に出向いており、父親も会社勤めのかたわら、たまに頼まれると笛と衣装を持って出かけて行きました。
小学生の頃、父のお供で能の会へ同伴され、楽屋で会の終わるのを待ったことがあります。
夏なのに楽屋には火鉢に炭がおこしてあり、小鼓の方が皮を炙って調音していました。
今思えば、父は私が能に興味を示すか確かめたのかもしれません。
祖父は法事の時などに仏前で、手向けに謡曲「隅田川」の一節(念仏)を謡っていました。
また親族の結婚披露宴などでは、祖父、伯父、父の親子3人で花向けに謡曲高砂(四海波)を謡っていました。3人の中でも祖父の声がひときわ朗々と響いていたことが思い起こされます。
祖父の遺した能(謡曲)の本や、父親の能管を手にすると、私も少しはお能を習っておけば良かったと思いますが、山や海にかまけてしまい、今となっては「時すでに遅く候へ」です。

【写真1】父の能管 【写真2,3】謡曲本 和綴じで能のシナリオです
※冒頭「榾火」の物の怪の正体は、「小屋から聞こえる謡い(念仏)に動揺し、入りそびれた登山者だった」

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