先日起きた軽井沢のバス転落事故、19・22歳の将来ある若者が災難に遭い亡くなったのは誠に残念でなりません、お悔やみ申し上げます。
そして心に強く刻まれている国道19号犀川スキーバス転落事故を、思いだ出してしまいました。
当時私は間もなく大学生になる18歳でした。
入学後の冬はバス1台を貸し切ってのスキーツアーが企画され、確か野沢温泉(もしかしたら蔵王)へ行く予定。
大学という新天地で仲間と行く初めてのスキーツアーは、当時トレンドでも有り、とてもワクワクしてみんなが楽しみでなりませんでした。
前年に19号犀川での転落事故は有りましたが、余り心にとめる事も無くツアーをとても楽しみにしました。
当日は貸切でも有り、飲食を始めイベントのゲームで大いに盛り上がったのを記憶しています。
その後就職し現在の中野市に転入、仕事でたまに19号を走る事が有りましたが、犀川の転落事故はすっかり忘れていました。
ある時19号を走っていると何を思ったか、橋の脇道を曲がり気が付くと事故現場に立っている慰霊碑の前で止まりました。
文字を読んで実家のテレビで見た事故を思い出しました。
現在ほとんど長野自動車道を通るので19号は使いませんが、北アルプスへ行く際はたまに大安寺橋を通ります。
慰霊碑は旧大安寺橋の橋げたの場所に有り、今の大安寺橋から良く見えます。
運転中なのでよそ見は出来ませんが、何時からか通るた度に心の中で鎮魂をお祈りをする様、心掛ける様になりました。
そして今回の軽井沢バス転落事故・・・・
あの場所は就職した当時、中野と横浜の往復で幾度となく通りましたが、道も広く下り坂でスピードが良くのる場所でした。
諸事情により交通事故でお亡くなりなった方の元へ、頭をさげに行った事が有ります。
病院から移動し安置してある上田市の某場所へ着いたのは夜中、亡くなられた方のお父さんが別室にて対応して頂きましたが、謝罪で頭を下げている傍ら奥の式場から、「お父さん起きてよ、なんで寝ているの」の小さいお子様の声や、奥様の嗚咽が聞える状況でした。
友人が奥穂の南陵で滑落し、連絡を受け豊科警察署へ飛んで行きました。
そして会社の旅行で東北にいたお父さんが夜中に到着すると、桶の蓋が外され変わり果てた本人と対面しました。
その時のご両親の表情や言動は今でも忘れません。
私はこれからも車を運転するし、道路を歩くし、バスも乗るし、山も登ります。
「行って来ます」と言うからには「只今」と言える様に、元気に自宅へ帰る事を、自分・他人を問わず日常業務の目標として勤めて参ります。
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