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この本は疲れた心身を癒やしてくれ、悩み多き心を浄化させてくれる一冊であった。
エッセイや時には寓話で構成されている。
巻頭の「花のワルツ」で先ずその表現力に酔いしれる。
寓話「消えたカウ・ベル」で手塚さんの人となりに触れて癒やされる。
日本百名山の一座である霧ヶ峰、ビーナスラインが通る前の姿を窺い知ることが出来る。人の手で荒らされない前のあるがままの霧ヶ峰の素晴らしさを感じることが出来る一冊だ。
この本では霧ヶ峰に関して日本百名山という概念は欠片もない。
読後、もう一度霧ヶ峰を散策してみたくなった。コロボックル・ヒュッテを強風から守っていた樅の木の防風林に会いに行ってみたくなった。
昨年だったか、残雪期の鉢伏山に登ったのだが、偶々牛伏寺(ごふくじ)からのルートを辿った。30センチ程度の残雪歩きも頂上付近の展望もとても良かった。気持の良い山歩きが出来たことを覚えている。その牛伏寺が「邂逅の山」だったことを知り、境内を散策しなかったことを悔やんだ。樹木葬のお寺だった事を思い出した。
http://gofukuji.or.jp/about.html
※手塚宗求(テズカ ムネヤス)
1931年、長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校卒。二十四歳の夏、当時無人境だった信州・霧ヶ峰高原車山肩に「コロボックル・ヒュッテ」を創設し、山小屋経営の傍ら、数多くのエッセイを著す。2011年夏、山小屋創設五十五周年を迎えた。日本ペンクラブ会員、日本エッセイストクラブ会員、日本山岳会会員、全日本スキー連盟指導員、環境省自然公園指導員。2012年没。
(手塚宗求さんは、昭和31年、霧ヶ峰・車山の肩に小さな山小屋「コロボックル・ヒュッテ」を開き、時流に棹さし、小さな小屋のまま小屋経営を続け、生涯「霧ヶ峰」を愛し続けた人であり、主として霧ヶ峰を舞台にしたエッセイを書きつづけた。2012年9月に逝去された。)
40数年前に「邂逅の山」を読んだときの感慨がよみがえりました。
色々と悩みが多かった若き頃、この本に出会い何となく救われたような思いがありました。
断捨離で、本棚と共に多くの本を処分しましたが、50冊ほどまだ手元に残してあります。
残念ながら、「邂逅の山」は数回の引っ越しの中で失われましたが、「遠い人 遙かな山」(1981年10月初版)は手元に残してあります。
日記の表題に、懐かしくて思わずコメントさせて頂き失礼しました。
私も断捨離のつもりでこの本を手に取ったのですが、再び読み直すことになりました。
読み直して良かったです。
その後メルカリに出品しましたが、最寄の図書館に所蔵されていなかった「諸国名峰恋慕」を購入してしまいました。「遠い日と 遙かな山」も読んでみたいです。断捨離が中々進みません。
易しい文体ですが、実体験に基づいたずっしりと重さを感じる骨太の文章でした。とても魅力的な文章です。
霧ヶ峰もコロボックル・ヒュッテもゆっくり過ごすために行きたくなっています。
ありがとうございました。
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