|
|
先ず、そもそも大雪山は何と読んだら良いのでしょうか。
アイヌ達は、ヌタクカムウシュペと呼んでいました。河の曲がりくねったところに立っている山
ヤマレコでは「たいせつざん」としています。
この本の中にある武田久吉の文を抄出します。
「ヌタクカムウシュペに日本式の大雪山の名が与えられたのは、松原岩五郎氏が、東京の博文館から刊行した『日本名勝地誌』第九の北海道篇一〇八頁に、「・・・・・・山嶽中其高峻なるものを拳ぐれば大雪山(たいせつざん)(元名ヌタカウシュベ)なり・・・・・・」とあるのが最初で、氏は大雪の大を静音で呼んでいるから、それを尊重すれば、ダイセツと濁音で呼ぶのは正しくないことになる。そして旭岳は大雪山彙の一峰の各である。」
因みに深田久弥氏の文ではダイセツザンとしています。彼は濁音で読ませています。
これから私は、大雪山をタイセツザンと読むようにしようと思いました。
因みにアイヌ語のヌタクカムウシュペは神々の庭という意味のようです。
この一冊を読みながら、私は一度しか行ったことが無いけれども、そのスケールの大きさに圧倒された自身の大雪山山行の時のことを思い出していました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1934532.html
大雪山の登山を終えて、東京の自宅に戻った私は、大雪山の魅力に酔ったまま大雪山を描いた油絵を分際弁えずに購入していました。それが田辺三重松の描いた油絵です。その後自宅をリフォームした際に売却しましたが、一時大雪山に酔わされていた私でした。それが写真2です。
大雪山の一部を歩いただけでしたが、今でも思い出すのはロープウェイの駅から少し離れると殆ど人に出会わないスケールの大きな空間だったこと、登山道の両脇に広がる高山植物が桁違いに広く何処までも蜿蜒と続いていること、アルプスでは出会わない花々が普通に繚乱としていることなどなどです。
チングルマの白い花が見渡す限り続いていたり、ツガザクラがピンクの絨毯となっていたり、黄色の花もキンバイだけでなくリュウキンカやウコンウツギが一面に咲きほこっているのを見とれるばかりで中々足が進まなかったことを思い出します。
初めて見たウコンウツギの大きな株が点在している処に出会ったときには、その名前を知らなかった私は花の妖艶さに酔ってしまい別世界に誘われたような気分になりました。
エゾイソツツジの白い花もそうです。何だろう、一面に見える白い花は?エゾイソツツジとエゾマルバシモツケの白い花、どちらがどちらなのか分からなくなってしまいました。
この一冊には以下の方々の文が載っています。(抜粋)
・金田一京助・深田久弥・三浦綾子・田中澄江
・立松和平・三浦雄一郎・大町桂月・大町文衛
・井出孫六・大島亮吉・武田久吉・田淵行雄
・坂本直行・今井通子
この一冊は大雪山を色々な角度から知ることができる楽しい本でした。
特に沢山或る大雪山彙の峰の一つに其の名が付けられている、大町桂月の紀行文とその息子である大町文衛の紀行文は、合わせて読むととても興味深く楽しめました。
名前が付いている山は桂月岳です。
https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=2914
https://tozan-syoshinsya.com/mt-keigetsu-keigetsudake-taisetsu/
大町桂月の一文はなかなかの名文でした。
富士山に登って、山岳の高さを語れ。
大雪山に登って、山岳の大きさを語れ。
息子の大町文衛が父の紀行文を意識して引用した一節が以下です。
これは天城岩といって、父が「耶馬渓になく、昇仙峡になく、妙義山になく、金剛山になし。天下無双也」という最大級の讃辞を捧げた層雲峡の中心をなす処だ。自分はそのどの景も知らないのだ。いきなり天下無双にぶつかったわけになる。
大雪山の縦走をしたくなりました。勿論夏山ですよ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する