若手の民俗学者、丸山泰明さんが書いた『凍える帝国ー八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌』(青弓社、2010年)を読んだら(←これはこれでなかなか力作論文なのでおすすめ)、新田次郎先生の『八甲田山死の彷徨』がまた読みたくなった。たまたま先日の朝日新聞書評欄の筒井康隆先生の連載コラムでも『八甲田山死の彷徨』が取り上げられており、何たる偶然かと思った。
いや、それでなくとも、私は何故か夏になると、映画「八甲田山」が見たくなる癖(へき)がある。今までそのたびに、レンタルビデオ、DVDを借りてきては、エアコンがきいた部屋であの映画を見て、そのたびに寒がりの嫁はんから「寒い寒い、やめてやめてこんな映画」と文句を言われていた。なに、どうせ毎年見るのなら、そのたびに借りるのはもったいない。10年で元がとれるだろう、という合理的な判断を下し(と、自慢するほど合理的なことでもないが)、いよいよセルDVDを買おうと思っていた矢先、去年だったかCSの映画チャンネルで放送されたので小躍りして録画した。うしししし、これからは見たい時にいつでも「八甲田山」が見れるのだ、と喜んでいた。それが、今年はひと足早く、原作の方を読みたくなったのだ。ちょっとイレギュラーな年である。
さて、新田先生の『八甲田山死の彷徨』は、学生時代買った単行本版がどこかにあるはずなのだが、整理の悪い私の本棚は幾重もの「地層」を形成しており、そこから発掘するのは至難の業なので、もったいないとは思いつつ、近所の本屋で文庫版を買ってきて、一気に読んだ。
凄い小説だ。何よりも、観測史上最悪の大暴風雪の中、凍えてバタバタ倒れていく兵士たちの、その描写がもの凄い。私みたいな者がこれ以上褒めても、新田先生が草葉の陰で喜ぶことはないだろうけど、いやあ、さすが先生の筆力は驚くべきものである。この事件をモチーフにした小説はやっぱり新田次郎先生ただ独りにしか書けなかったろうと、つくづく思った。
で、そのあとすぐにまた映画「八甲田山」を見た。これも本当に凄い撮影をした映画で、この時のカメラマン木村大作さんがこないだ「劒岳 点の記」を撮って、その今どきめずらしいC.G.レスのリアル映像が話題になったけれども、撮影の凄さでいうと、たぶん「八甲田山」のほうが上だと私は思う。なにしろ極寒の八甲田山現地でしかもわざわざ悪天候の日を選んでロケしているのだから、スタッフ、出演者の苦労たるやすさまじいものがあっただろう。途中で逃げて帰った役者も何人かいたと聞く。さもありなん。
しかしながら、このたびは原作と映画をつづけて見たわけだが、あの遭難事件のむごたらしさ、もっと端的に言えば、あの雪中行軍の寒さ、辛さの表現においていうと、新田先生の描写力のほうにあきらかに軍配があがる。さらに、これは、冒頭にあげた『凍える帝国』でも指摘されていることだが、同時期に雪中行軍を成功させた弘前第31聯隊の、案内人に対する冷酷な態度を、原作は意地悪いほどきっちり描くことによって、「明治という時代の暗さ」を見事に浮かび上がらせている点でも、原作のほうが作品として一段深いと思う。
それはさておき、今思うに私は若い頃、『八甲田山死の彷徨』を読み、その後、映画を見たおかげで、冬山というものがつくづく怖くなった。いや、「怖い」以前に、とてつもなく寒くて辛いところだというイメージが、強固にでき上がった。だから、いまだに中級山岳以上の、たとえば日本アルプスの冬山には、行ったことがない。今後もおそらく行かない(行けない)ような気がする。それは残念なことではあるが、しかし、その一方で、私のような体力も意志も貧相な軟弱モノが、「勢い」だけで中級以上の冬山にうっかり行って、遭難の危険にさらされるのを、この作品が未然に防いでくれたといえるわけでもあって、新田次郎先生に深く感謝したい気もしているのだ。
donburiさん、こんばんは。
今日の日記、読み応えがあります。
日記を読みながら書棚に目をやると、「八甲田山死の彷徨」の文庫本があります。
裏表紙をめくると、1983年8月15日・札幌弘栄堂書店と記しています。札幌へ赴任して2年目の夏に買って、読んでいます。
貴兄の仰るとおり、時代背景をしっかり押さえ、状況(情景)描写もすばらしい作品です。
「八甲田山死の彷徨」に続けて読んだ「望郷」もよかったです。
その10年後くらいに息子・藤原正彦さんの「遥かなるケンブリッジ」「若き数学者のアメリカ」を読みましたが、結構面白かったですよ。
そして、平成21年2月19日の日経夕刊「あすへの話題」に安野光雅さんが娘・藤原咲子さんのことを書いています。
「望郷」の一節が紹介されています。
では、又。
こんばんは。
新田次郎の小説はほとんど読みました。余談ですが、藤原ていもいいです。
映画「八甲田山」のロケの話を今日サークルの方々と話したばかりです。
八甲田でのシーンのほとんどが岩木山麓で撮影されたとの事です。
水をさして悪いですが、本当のことらしいです
映画「八甲田山」の台詞「天は我々を見放したか」は当時はやりましたね。山へ行ってバテた時に台詞を真似てたような気が、、、
印象に残るのは自分の歩数を数え続けて無事難所を切り抜けるシーンですが、そんなこと可能なのだろうか?と思いながらも出来るようになりたい!と思っていました(思うだけでしたけど)、、、
>silverstarさん
そうですね。新田先生のお子さんたちも、皆さん偉い人になりましたね。
今の若い世代の人々は、新田次郎先生のことを「藤原さんのお父さん」として認知しているようですね。
>citrusさん
あっ、そうでしたか。あのロケは岩木山で・・・。
知りませんでした。がっかり。
やっぱり撮影終了後、監督がみんなを集めて、「岩木山麓ロケで見たことは、決してしゃべってはならぬ!」と、脅したのでしょうか?(笑)
>bokemonさん
歩数を数える兵士。映画では前田吟さんが演じている伍長ですね。
「天は我々を見放した・・・」。あのセリフもよく使いました。
あえぎあえぎ登ったピークがだましピークであることがわかった時など。
donburiさんこんにちは。
僕の母が満洲の引き揚げ者でもあり、新京(長春)から信州まで逃げる藤原ていの「流れる星は生きている」を、思い入れ深く読みました。かみさんがこのノンフィクションのベストセラーを書いちゃったので、夫の新田次郎は作家デビューしたそうですね。
このとき危ない川を渡ったので幼かった藤原正彦さんは大人になっても水を怖がったとどこかで書いていました。
藤原さんが母を連れ満洲を再訪する話を「考える人」誌上で読み、僕も母を連れてハルピン、その北の小さい町を旅行しました。
八甲田山を暑気払いに見るということですが、僕は山が題材の小説や映画がどうしても苦手です。入れ込んでいる世界なので、どこかでリアリティーがなかったりすると(お芝居だから仕方ないのですが)、なんだかアラが見えてしまって、どこかでしらけてしまうのです。
こういう狭い了見の態度ではいけませんよねえ。
>yoneyamaさん
こんばんは。
お母様はたいへんなご苦労をされましたね。
私の親友の母親も満州の引き揚げ者で、彼女の家族はロシア兵にひどい目にあわされたそうで、いまだにあの国を憎んでいます。
「リアリティ」のお話、私も同感です。映画見ていて、キスリングザックのセンターの上フタがぐるぐる巻きに締められていたりしたら、もうあきません。
そう、それそれ。クライミングなのに両手でロープつかんで登ったりとか!そりゃ陸軍のレインジャーです。
でも、「八甲田山」の映画は、あれは登山とは思っていないので、しらけず見ました。でも音楽がこれでもかという感じで暗すぎで、しつこく感じました。ぼくなら、もっとさっぱりしたレクイエムにするなあ。
>yoneyamaさん
おはようございます。
確かに、今回見直して思ったのですが、「八甲田山」の音楽はしつこい感じがしますね・・・。
あと、近年見た映画の中では、若松孝二の「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の山岳考証がなかなかよくできてましたよ。装備の描き方も含めて。
若松監督といえば「水の無いプール」とか憂鬱になるけど見たくなるような映画作家ですね。
浅間山荘事件に山が関係しているのですね〜
赤軍兵士たちが群馬県の榛名山や妙義山の山岳ベースに向かうところや、警察に追われて軽井沢に逃げ落ちるところなんかの、山岳装備の描写がたいへんリアルであります。キスリングのパッキングなんか非常に上手くて、感心しました。(私はあんなに上手にパッキングできなかった・・・)
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