「今、たいへん不愉快な福音書が朗読されました」。
開口一番、神父がこう言った
数年前のミサ説教でのことである。
福音書(主にイエスの記録)に対して不愉快とは何か?と思う方もいるだろうが、何も聖なる話より、不愉快な話の方が多いかもしれない。
真面目に働いている人には”葡萄園の労働者のたとえ”や”放蕩息子の帰郷”に怒る人もいるかもしれない。
マタイによる福音書/ 14章
(国王)ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。
ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。
ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘(サロメ)が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。
それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。
すると、娘は母親(ヘロディア)に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。
もう少し端的に書けば、王様(ヘロデ)が兄弟の嫁(ヘロディア)と結婚し、その連れ子の娘(サロメ)を受け入れたが、当時の宗教指導者(洗礼者ヨハネ)がそんなこと(兄弟の嫁との結婚)は許されませんと言ったので投獄した。
更にサロメとヘロディアの謀略によりヨハネは死刑となった。。
マルコ書によればヘロデ王はヨハネの批判を理解していたことがわかる
----------------
ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた
----------------
2000年前に、正しく批判をしていた人が ”うぜーな正論とオマエ” という権力者の権力により殺されてしまった。。という話なのです。
しかし批判と律法は抹殺さずに伝わっているところが凄いですが
面白いことに、こんな話は現代にも多数あるのです
雇用元を批判すると待遇が悪くなる。。良くある話です
例えば社長が浮気をしてるから批判すると。。
今の日本では法律に触れないから浮気はOKとかで。貴方は出世から外れます。
まあ法律に触れることでも批判すれば余りいいことはないでしょうなw
報道はされますが
ただし暴走ヘロデにも、自身の過ちと向き合った時間があったのです。
こんな言葉で不愉快な聖書の場面を閉じるとしますか
----------------
その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた
----------------
待降節 第4主日に
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する