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日露戦争前だが、戦争が起こることが確実視されていた当時。日露戦争に勝つために地の利を得ることを目的に、青森の聯隊(神田大尉)と弘前の聯隊(徳島大尉)が八甲田山系を何日もかけて縦走することになった。
まず徳島大尉が率いる弘前の聯隊。徳島大尉が縦走を成功させるべく緻密かつ丹念な事前計画を作成して事前準備を迅速に整えた。方や神田大尉は弘前の聯隊に負けるわけにはいかないプライドの高さだけが先行して事前計画や事前準備が杜撰だった。
そして縦走が始まり、徳島大尉率いる弘前の聯隊は悪天候に悪戦苦闘しながらもチームワークが乱れることなく事を進めていくが、神田大尉率いる青森の聯隊は悪天候に悪戦苦闘する挙句に指揮系統が乱れて引き返すか前進するかで揉めるだけ揉めて、悪天候で食料が凍って餓死するもの、低体温でまともに手足が動かず漏らした尿が凍って凍死するものなど死者が続出した。何人かが生き残るが、いずれも農民出身で食料を凍らせない術を知っていたことが分かれ目だった。
加藤文太郎さんが槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難死した時も食料が尽きて力尽きた結果だったこともあり、山行時の水分や食料補給の重要性を改めて感じたと同時に自然の力と対峙した際の人間の無力さを生々しく思い知った。
毎年のように山岳事故や遭難事件のニュースが季節問わず出てくるが、個人的には山へ行きたいと思う人や山が好きな人には是非山岳小説を一度は読んでみてほしいと思う。山の魅力だけでなく、リスクについても触れられてるからだ。
最終的には徳島大尉が率いる弘前の聯隊は1人の死者も出すことなく八甲田山系を歩ききって弘前に戻ったが、徳島大尉が後の日露戦争で戦死してしまうのが実に悲しかった...
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