![]() |
![]() |
![]() |
こんな逞しい13歳が居るだろうか?自分が13歳だった頃はどうだったか?今の自分ですらこんな生き方はできるのか?こんな感じのことを何度も考えさせられながら読み進められた。
自分が13歳だった時。地元の公立中学校には進まず、私立の学校に変わったが馴染めずに居た。初心者🔰ながら野球部に入ったが経験者ばかりでついていけなかった。それでも一緒に遊んだり一緒にプロ野球を観に行くような関係まで譲ってくれた人が居て、お陰様で遅れながらも学校生活に馴染めるようになり自分なりに野球部も続けていこうという気持ちになれた。
テムジン様はモンゴル族のキャト氏の一員だが、13歳の時に異母弟を殺害したことで同じモンゴル族のタイチウト氏から命を狙われる。それぐらい大きなモンゴル族のタブーを犯したわけだった。身の危険から逃れるために馬に乗って南へ逃げたのだが、南はゴビ砂漠だ。その砂漠を水場を繋ぐように移動して2週間ほどで金国(昔の中国王朝で契丹族や女真族が漢民族を追いやって建国した王朝)まで辿り着いた。金国で働き、歴史書記を読み漁って色々学び、武術の稽古もこなす日々を送った。こんな逞しい13歳など初めて聞いたような気がした(笑)もはや子供離れしてるやん!って思った(笑)
大草原の中でも季節によって営地(ゲルで集落を作って暮らす場所)を変えて暮らすモンゴル族だが、商人になる人も居て遠方まではるばる物々交換など取引に行くことで流通が成り立っていた。モンゴル族は主に馬乳酒や石酪(馬乳由来のチーズ)、羊肉などを売り、衣服の原料や他地域の名産物を得ていた。近隣民族や他地域の事情も商人から噂話となって伝わっていく流れだった。現代のようにネット社会の弊害が無く、商人との物々交換や情報交換が生活の基盤になっていたのだろう。
モンゴル族はどの氏族も馬や羊を家族同然というぐらい大切に育てる文化が既に根付いていたが、キャト氏やタイチウト氏、ジャンダラン氏など氏族間の分裂や対立があったほか、近隣には襲撃して羊を奪うようなメルキト族や戦闘力が強いタタル族も居るなど、まるで戦国時代の日本のように同じ民族でも氏族によって領土があり、他民族からの脅威が常にあった。それもあってか氏族の誇りや結束力もあったのだろう。だからこそテムジン様は金国での1年ちょいの間の滞在を歴て命を狙われてることを百も承知でモンゴルの大草原、自分の家族の下に戻る道を選んだのだろう。金国での滞在だって決して順風満帆だったわけではないが、大草原での生活では得られなかったであろう様々な知見や経験を積んで元々の逞しさに更に逞しさが上積みされた感じになったように感じた。
モンゴルの大草原に戻ってからどんな道を歩んだ末にモンゴル帝国(元王朝)を築いていくのだろう?と楽しみになってきたし、迷わず続編(チンギス紀 二 鳴動)を買って読むことにした。
ーーーーー***ーーーーー***ーーーーー***ーーーーー
ここからは自分の目で見たモンゴル🇲🇳の話を書く。
2015年の夏にモンゴル🇲🇳へ行ってみた。同じ東アジアでもメジャーな旅行先ではなくても個人的には広大で雄大な草原景色をはじめ自然味が違うであろう世界、日本から近いようで遠い世界を見てみたかった。
まず韓国のソウル経由でモンゴルの首都ウランバートルへ。飛行機からはゴビ砂漠であろう景色、大草原の緑が見え、ウランバートルに近づくにつれてゲルの集落が増えてきて、やがて着陸した。空港から市街地へはホテルからの迎えの車で移動した。
基本的にモンゴル人の移動手段は車の一択らしく、電車の駅こそあるけどシベリア鉄道(運行区間が北京〜ウランバートル〜モスクワ)の経由地でモンゴル人が都市間の移動で使うことは殆ど無いらしい。地下鉄も無く、建設計画すら存在しないと聞いた。
ウランバートルの市街地は超高層ビルは無いけど中高層ビルが結構あったほか、旧ソ連時代を舞台にした映画に出てきそうなレトロさを感じる建物が多くて旧ソ連時代にタイムスリップしてきたような感覚になった。文字もロシアのキリル文字がベースになっている。他にもカラオケ🎤のバーが多く、ウォッカが数多く売られていた。美意識が高いからか、現地の女性陣が軒並み肌が綺麗だった。緯度が高いからか、夏とは言えど22時まで陽が沈まず昼間と同じぐらい明るかった。22時を過ぎてやっと暗くなり始めたぐらいだった。
外務省のホームページで海外安全情報のリンクには「歴史的背景上モンゴル人から見て中国への感情は良くなくて、日本人観光客が中国人と間違えられて殴られたことがある。」などと記載があるが、自分がウランバートルの街を歩いてたり大草原を案内してもらってたりしてた時にそんな危険性を感じたことは全然無かった。ごく一部の日本人観光客がモンゴルの人を怒らせるようなことを言ったからだろうと思った。
2枚目の写真がモンゴルの通貨、トゥグルグだ。これが日本円に換算すると100円になるかどうかのレートなのだ。500トゥグルグと1,000トゥグルグの紙幣にはテムジン様の姿が描かれている。
3枚目の写真がウランバートルの市街地から車ではるばる移動した大草原で撮影したものだ。乗馬体験やゲルでの宿泊生活も体験でき、天気が良ければ満点の星空だって見れるなど、モンゴルらしさを味わえた。空気がとても綺麗で緑の濃さも新鮮味があった。馬や羊はここの草を喜んで食べてるのだろうと想像できた。自分は体質上お酒が殆ど飲めないが、モンゴルで飲ませてもらった馬乳、食べさせてもらった馬乳由来のチーズや羊のお肉など本当に美味しかった。飲食を通じても自然の恵みをたっぷり体感できた。それぐらい鮮度が良かったのだろう。普段から食べてる草が良いのだろう。
これを書いてたらプロフィール写真も変えてみようと思った。ウランバートルの郊外にあり、街のパラノマを見渡せる高台になっているザイサン・トルゴイで鷹匠になったような気分を体験させてもらったものだ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する