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2024年01月06日 12:24生活全体に公開

自分に出来ることを粛々と。

この度の令和6年能登半島地震により犠牲となられた方々の御冥福をお祈りするとともに
被災された全ての皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の皆様が安全で健やかな毎日を過ごせますよう
一日も早い復興をお祈りいたします。

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

2024年は過去に類を見ないほど大変な幕開けとなりました。
本来なら新年最初の日記は今年の山の抱負などを面白おかしく書く予定だったのですが
とてもそんな気になれず。
自分の中の区切りの意味も込めて日記をしたためることにしました。
繊細な話題につき、初めてコメント欄を閉じます。ご了承ください。



私は東日本大震災の折、報道やネットの情報を収集しすぎてPTSDになった過去があり
その時の教訓から、自身や身内に被害がない場合、災害情報は意図的に遮断しています。
言い方は悪いですが
自分の手の届かない範囲の情報で一喜一憂したところで大勢に影響はないばかりか
落ち込む、気力がなくなるなど実生活に悪影響を及ぼす可能性が極めて高いからです。
倫理面で批判はありましょうが
自身の生活に影響の出ない一定のラインで、ある程度の線引きは必要です。
被災地でもない場所で無関係な赤の他人が病んでいても誰も得はしませんので。

かといって、全くの他人事として割り切ってしまうほどドライになれないのも事実。
自分に出来る事があるならば、微力なれどお役に立ちたい。
そこで『寄付』の登場です。


しかし、日本国内において寄付というと
売名や偽善といったネガティブな単語が飛び交うことが往々にしてあります。
それもひとえに日本人は寄付といえば『施し』のイメージが強すぎるが故でしょう。
妬み嫉み僻みもあるかもしれません。
また『お金の話題は下品』という日本特有の価値観にも起因しているかと思います。

寄付は本来『相互扶助』の精神に寄るものです。
困った時はお互い様、助け合って生きて行く。それがお金という形で顕現したに過ぎません。
そこにどんな意図があれ、享受する側にとってはメリットしかないわけですから
寄付者にネガティブな発言をぶつけるなど、とんだ筋違いというものです。
ですから寄付する側は堂々としていれば良い。

というわけで、しっかり予防線を張ったところで自分に出来ることを粛々とやっていきます。



◆ふるさとチョイス災害支援
https://www.furusato-tax.jp/saigai/filter?category_id[]=1303&top_ttarea

ふるさと納税を災害支援金の形で寄付することが出来ます。
ふるさと納税については本来の主旨とかけ離れた制度の実態に疑問しかなかったので
これまで利用してきませんでしたが
『困っている自治体に自分が払う税金の一部を選んで贈る』
というふるさと納税本来の趣旨に沿った運用に納得したので初めて利用します。
当然ですが返礼品はありません。

アカウント登録とクレジットカード登録すればものの数分で手続きが完了します。
長野県内の代理市町村を通じ、以下の3市町村にそれぞれ1万円ずつ寄付しました。

・石川県珠洲市(代理:長野県長野市)
・石川県輪島市(代理:長野県長野市)
・石川県能登町(代理:長野県信濃町)



◆石川県 能登半島地震に係る災害義援金
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0601.html

石川県が募っている義援金です。
クレジットカード不可、銀行振り込みのみ。
希望すれば石川県のホームページにお名前が記載されます(住所金額等は伏せることも可)
ちなみに記載までにはタイムラグがあります。
用途は限定されておりませんので、様々な形で災害復旧に利用されるでしょう。

1万円寄付しました。
ゆうちょ銀行ATMで振り込みましたが、手数料かかったので窓口推奨(窓口なら無料)




◆日本赤十字社 令和6年能登半島地震災害義援金
https://www.jrc.or.jp/contribute/help/20240104/

日本赤十字社による義援金。
被災地の方々の生活支援に充てられます。
クレジットカード不可、銀行振り込みのみ。
振込先に応じて『被災地全域』か『地域限定』のいずれかの寄付が選べます。

『被災地全域』に1万円寄付しました。
ゆうちょ銀行ATMで振り込みましたが、手数料かかったので窓口推奨(窓口なら無料)



聖書には『善い行いは隠せ』とあります。
しかしそれは貧しい人たちへの施しの話であって、寄付の話と同列で語るべきではありません。
施しであれば相手からの感謝が見返りとして得られますが、寄付は直接お相手の顔が見えません。
故に別の形で一定の賞賛は受けて然るべきです。
聖人君子ではないのですから、多少なりとも行動に対する見返りがなければ人は続けられません。
よって寄付はもっとオープンかつ日常的であっていい。
困った時はお互い様で、助けられるときは堂々と助け、窮地の際には助けてもらえば良い。
ですから今回敢えて情報はすべてオープンにしました。
これらの情報をきっかけとして、寄付の輪が少しでも広がれば喜ばしい事ですし
寄付しなかったとしても別に恥じる必要はありません。

寄付は過度に賞賛すべきではありませんが、聖域化して腫物のように扱うのもどこか歪です。
私がコンビニでパンを買うのが自由なように
寄付をするしないという選択肢が日常生活の中に当たり前にあって
どちらも自由に選べ、周りもむやみやたらと騒がず、誰も貶められることがない。
そういう社会が健全なのではないかと思います。


最後に、冒頭の写真にある書籍『社会を変えるお金の使い方』
寄付というものに対して新たな知見を得られる良書です。機会があれば是非♪
https://amzn.asia/d/9B97Geq
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