所蔵資料は、おそらく江戸時代中期に作られたもので、書は当時の能筆家によって書かれたもの、絵も素人ではなく、専門の絵描きによるものではないかというお話だった。さらに特徴としては、災害に関する記述が絵も含めて詳細であるということだった。
『方丈記』は鴨長明が、神社の跡継ぎ争いで負けて、さらに後年神職の道をとざされて、出家し、庵に引きこもり、世の中の出来事をつらつら書いたもの?だったような……
(と国語の時間に習ったかすかな記憶があるのだが……)
私は、専門家ではないので、その分野の専門家の方からお話を伺えることが、いつもとても楽しいひとときとなっている。
とそこまでは『方丈記』鴨長明のお話だったのであるが、その方が突然、
「今日は、本当に懐かしかったのです。こちらに来たのは昭和40年代前半でねえ。当時私は学生で、中原中也全集の出版の為に、アルバイトで未発見の作品を探しにきていたんです。古い新聞をすみからすみまで探してね。おかげで2、3当時まだ未発見の作品を見つけることができました。」
とおっしゃられた。
「中原中也」さん。まさか方丈記からこの展開になるとは思ってもいなかったので、もう本当にびっくりした。久しぶりに心臓がバクバクした。
なぜ中原中也さんがここででてくるんだ。
2月1日にまつわる、過去の亡霊と対峙し、打ち勝ちなさいと神様に言われたような気がした。
日記に書かせていただいたおかげで、冷静になれた。
これからは、2月1日が、「七ケ岳記念日」になるだろう。
写真は左がたかつえスキー場から行くルートの始まり
右が古今登山口へ向かう途中の奥会津博物館付近の標識
矢印が左ななめ上を示しているが近辺に径が見つからなかったので不安……