一回目と二回目は航空機&レンタカーで、三回目〜六回目は自宅からマイカー、最後の七回目は函館港からレンタカーで渡島駒ヶ岳へ登った一日だけ。
七回目の渡島駒ヶ岳は、青森県の大間港に車を置いてフェリーで往復したが、大間港ではなく、青森港から行くべきだった。
翌日は南八甲田の山々に登り、下山後は猿倉温泉の露天風呂に入り、黒石ICから高速道、岩手山SAで車中泊し、翌日午前中に帰宅した。
折しも、地方の高速道路が休日1,000円の最終日だった。
知床半島を北から南へ日帰りで縦走してみようと思い、硫黄山登山口を夜が明けてからスタートした。
岩尾別温泉へ下ってから車を置いた硫黄山登山口まではタクシーで送ってもらおうと思い、予約していた。
夏の北海道は夜明けが早く、スタートした4時24分にはすっかり明るくなっていた。
硫黄山の縦走路分岐付近は踏み跡が輻輳していて、そのまま高みを目指したら硫黄山頂上だった。
360度のパーフェクトな展望で、羅臼岳の彼方には斜里岳も見えたが、南側は多くの山が雲海に浮かんでいた。
サシルイ岳を過ぎ、三ツ峰のピークから予約していたタクシー会社へ下山予想時刻を伝えると、道道知床公園線には時間制限があるので17時半までには下山してくださいと言われ、羅臼岳へは行かずに下山した。
硫黄山登山口に停めるには許可申請書が必要で事前に用意していたが、知床公園道路に時間制限があるとは知らなかった。
岩尾別へ下山中、知床山考舎代表で、有名な山岳ガイドの滝澤大徳氏とお会いした。
ガイド業がない時は登山道を整備していると仰っていた。
滝澤ガイドとは翌年新冠コースから幌尻へ行った時にも頂上でお会いした。
滝澤さんは額平川コースから中年男女4人を率いて、私より少し遅れて登頂した。
一度お会いすると忘れることはない、あの独特の風貌はアイヌの末裔を思わせるが、身上までは聞くわけにいかなかった。
利尻山は、二回目は北麓野営場からだったが、一回目は沓形登山口からだった。
南峰へは通行禁止と表示されていたが、踏み跡明瞭で特に危険を感じる所もなかった。
南峰頂上の絶壁の真下に小さな神社があり、山岳信仰が旺盛だった往時を偲ぶ。
鬼脇コースの上部と仙法志稜は尾根の両側が崩落し、凄絶な山容だった。
この沓形コースの上りでは、礼文岩を過ぎた所で自転車を担いで下る若い男性と、かなり遅れて歩く若い女性に行き会った。
下りでその女性に追い付き、駐車場まで色々と話ながら一緒に歩く。
バス停まで歩くと言うので、私の車に乗せてあげようかと言うと、自転車を担いだ男性と友達だから結構ですと断られた。
道道利尻登山線で、追い越し際に会釈をして別れたが、やはりバス停まで歩くのは可愛そうだなぁと思って引き返し、助手席に乗ることを勧めた。
車だとあっという間にバス停に着き、そこには自転車で下った男性が腰を下ろして休んでいた。
普通、恋人同士なら自転車で一緒に下るのではないだろうか…
初めて北海道に行ったのは2001年7月だが、当時は二百名山はともかく、三百名山まで登ることは全く考えていなかった。
私の脳裏では、登山適期は7月上旬〜9月上旬で、取り敢えず日本百名山を完登することだった。
二百名山は百名山の二巡目と掛け持ちで行った。
ペテガリ岳は数年後に林道が一般車両通行禁止になるとは予想だにしていなかった。
オフロードであり、非4駆車ではボデーの腹を擦ったかもしれないが、ペテガリ山荘まで車で入れば日帰りで行けた。
ペテガリ山荘泊で登頂した時は、ガスで何も見えない状況だった。
カムエクは、一般車両は幌尻ゲートまでしか入れないことは知っていたが、事前に地元のタクシー会社へTELすると道道終点(渡渉開始地点)まで入りますという。
その予約をして遠征し、登頂日が決まった前日にTELすると終点までは入れませんという。
終点まで送ってもらうことは事前に確認済みだったと言ったが、要領を得ない返事で納得できなかったが、諦める以外に仕方なかった。
幌尻ゲートを真夜中の2時35分に出て日帰りしたが、休憩込みで14時間35分掛かった。
札内川の渡渉は復路で数えたら4回だったが、川幅が広く、増水していれば、額平川コースの幌尻岳より危険性は高いと思う。
スタートからザックを軽くして水はあまり持っていなかった。
八ノ沢出合(幕営地)の登山道沿いで湧き水を500ミリほど飲み、八ノ沢カールの水場でもエキノコックスを気にすることなく沢水をそのまま飲んだ。
登頂時、ピラミッド峰が一瞬見えただけで視界はガスに包まれた。
二度目の利尻山は北麓野営場からだった、
前々日〜前日は帯広のホテルに宿泊していた。ホテルのインターネットで翌日の天気を調べると、雨が降らないのは稚内と留萌だけ。
ホテルで午後から眠剤で強制的に眠りに入り、真夜中の0時前に車を飛ばして稚内へ向かった。
九州の二倍ほどある北海道は移動するのにとても時間が掛かり、稚内港発鴛泊港行の始発に乗船するため、一般道路しかなかった当時、高速道路並みのスピードで急いだ。
利尻山へ登る途中からも頂上からもサハリンが見え、深夜に車をぶっ飛ばして移動した甲斐があった。
画像1 雌阿寒岳から雄阿寒岳
2 天狗平からニペソツ山
3 第2前衛鋒付近から硫黄山
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