「デスパレートな妻たち」に出てくるリネット・スカルボは、元バリキャリの主婦。
宗教など無縁。現実的な視点を持った人だ。
その彼女が、教会に行きたいと言い出す。
最近、癌になったり、ハリケーンという災害によって悲痛な思いをしたので、心の整理をしたいようだ。
自分の友人が通っている、長老派と呼ばれる教会に行く。
礼拝の途中、牧師の説教が終わると、リネットは、「質問!」と手を上げてしまう。
「今のところなんですけど、それは分かりました、でもそれならどうして神は・・・」
リネットはしつこい。有能なジャーナリストのように、鋭い質問を続けようとする。
牧師さんは答えつつ、あとで聖書講座のほうにくるようにと薦める。
その後、友人がリネットを諌める。
「教会はね、質問をするところじゃないのよ。答えを求めに行くの」
リネットは
「質問しなかったら、どうして答えが得られるのよ?」
友人は、彼女をそれとなく他の教会に行くよう薦める。
実はこの友人は、迷惑な友達を連れてきたことで牧師さんの自分に対する評価が下がり、
婦人会の支部長に選ばれなくなることを恐れているのだ。
リネットは仕方なく、翌週はカトリックの教会に行く。
同日、長老派の教会では、牧師さんがこんな事を言う。
「先日は、よいお友達を連れてきてくださいました。よい刺激でした。」
友人は驚く。質問をしたりして迷惑をかけたのではないかと心配するが、牧師さんは
「いやいや、教会は問いかけをするところなのですよ。また連れてきてください」
教会が問いかけをする場なのか、答えを得る場所なのか、、、
あまり考えたことが無かったが、結論としては、両方ありだと思う。
最近問いたい事。
なぜ彼女なのか。
愛してくれる夫や子どもがいて、たくさんの人から必要とされ、人格もすばらしい彼女が
癌になって、この世を去らなければならないのか。
たくさんの人に必要とされているのに、どうして神様は彼女を召し上げてしまおうとしているのか。
替わってあげられるものなら、替わってあげたい。