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イスラム世界で働いた経験のある(今も働いておられる)13人の日本人にインタビュー。湾岸諸国から中東、イラン、トルコ、パキスタン、インドネシアまでイスラム圏をほぼ網羅し、その職業も航空、商社、建設、食品、観光、ジャーナリストなど多岐にわたっている。民間人が見たイスラムの日常とビジネスの様子が、平易に率直に語られていて、各国それぞれの宗教観があり労働観があり、とてもひとくくりにできないのだけれど、読後の全体的印象はまるで「イスラムの大きな絵」を見ているよう。イスラム理解にとてもいい本だと思う。そもそもお話の一つ一つが面白いです。
世界のムスリム人口は13億で、ほとんどが途上国。今後日本経済との関わりも深くなりそうだ。食のタブー「ハラーム」や飲酒のこと、やはり国によって人によってちょっと濃淡があるみたい。世俗主義を憲法に明記しているトルコのような国もあるし、原理主義一枚岩ではない。暗いニュースばかり耳に入ってくるけど、こんな時にこそ読んで肩の力を抜きたい。
「日本人は無宗教などと言ったら軽く見られる」そんな言葉が印象に残った。無宗教なんだから仕方がないもん、と言いたいところだけど、神仏は大事にし、宗教的なものには敬意を払っておりますくらいのことは言っておかないと、仕事も暮らしもうまくいかない。
比較社会学者の桜井さんのよいお仕事。
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「女子の国はいつも内戦」辛酸なめ子(河出書房新社)2008/3/20
ちょっと古い本だけど、多分昔昔から、そして今もなおありそう。女子じゃないのでわからないけれど。小学校高学年から高校卒業まで、学校内、クラス内での「所属」と「立ち位置」を巡って女子の世界は、あっちついたりこっちついたり内戦が続くというお話。「学校内カースト」という言葉が生まれてきたが、それは「本質」なのか。「どうだっていいんじゃないの」、と娘に相談を受けた父親は答えたくなるだろうが、ところがどっこい、娘の中では生きるか死ぬか、不登校、退学、自殺まで行きついてしまうような事案でもあります。
各章の最初のページに有名人の言葉がついていて、
「私に友だちがいないのは、皆が私に嫉妬するから」パリス・ヒルトン
「孤独な人間はこの世で最も強い」イプセン
「人間の弱さはわれわれを社交的にする。共通の不幸がわれわれを互いに結び付ける」ルソー
などなど。うーん、女子よ、そんなに孤独(立)を恐れるなよ。
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「マックス・ウェーバーを読む」仲正昌樹(講談社現代新書)2014/8/20
巨人マックス・ウェーバーである。若いころにマルクスやマックス・ウェーバーを読もうとして挫折した人はきっと沢山いて、歳をとって再読しようと思っている人も少しはいると思う。さわりでも読んでおきたい人に、この本は極めて有用。読むべき個所をきちんと引用し、分かりやすい(?)解説をつけてくれる。さらに少しサービスがあって、仲正さんは現代日本でおこっていることを、ウェーバーを援用しながら、解説してくれる。例えば、STAP細胞問題について:
「何をもって優れた研究と評価し、国家的にサポートすべきなのかの明確な判断基準なしに、表面的な“合理化”を進めようとすれば、様々な利害関係者が文科省などに働きかけて、自分に都合のよい“評価”が行われるよう工作したくなるのは、当然だ。…お役所的な仕事− つまり、政治家、役人、大学幹部の“イニシアティブ”による組織改革で、“学者の根性”を叩き直したかのように、実情を分かっていない素人には見えるという意味― での合理化を強引に推進すれば、研究の質を低下させ、対外的信用を失うことになる。そうした皮肉な事態が、現代日本で進行しつつある」
ウェーバーの「職業としての学問」は、一言で強引にまとめたら「学問は地味で、専門に閉じこもれない人には無理ですよ」という内容(←強引すぎですね。) ウェーバーの言葉を引用すると:
「…どうだ俺はただの『専門家』じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことは形式の面でも内容の面でもまだだれもいってないだろうとか、そういうことばかり考えている人は、学問の世界では間違いなくなんら『個性』のある人ではない。」
昔このあたりを読んで、学者は無理だなと思った遠い記憶。
次に「職業としての政治」。官僚と政治家の違いについて、ウェーバーは次のように書く:
「官吏である以上、『憤りも偏見もなく』職務を執行すべきである。…政治指導者の行為は官吏とはまったく別の、それこそ正反対の責任の原則の下に立っている。…国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない。官吏として倫理的にきわめて優れた人間は、政治家に向かない人間、とくに政治的な意味で無責任な人間であり、この政治的無責任という意味では、道徳的に劣った政治家である。」
ところでこのような政治家はもちろんなかなかいないので、現代日本の官僚主導政治がひっそりと行われているのである。この事態について、仲正さんは、
「…そのようにして、指導者と官僚の関係がシステム的に逆転し、本来、指導者として責任を取る用意のない人たちが、政治を指導するという倒錯した自体が生じる。」
と評したりしている。
さていよいよ「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神。」大物である。この本の解釈を巡って昔からいろいろ論争があって、決着したとも思えない。そしてその論争に関心を持つ(一般の)人も多分もうほとんどいないような気がする。『プロ倫』を一行で言えば、
「プロテスタントのカルバン派の人たちが、禁欲、節約、貯蓄、奉仕の生活を送り、職業を神に与えられた神聖なものと考え、神の栄光のために労働し、労働者も資本家も勤勉をモットーとし必死に働くようになり、それが資本主義を生みだす元となった」
ということ(←無茶苦茶強引で、神をも畏れぬ行為ですけど…)。
仲正さんは、ロック、ホッブズ、アダム・スミス、マルクスなどを簡単に紹介しながら、「労働観」「資本」について解説し、ウェーバーの「禁欲的節約強制による資本形成」について:
「獲得した富を無駄に消費することなく、さらなる禁欲的労働と公共の福祉につなげるには、その富を『資本』として再投下するのが最も確実なやり方である。この論理によって、『資本』を増殖させること―貨幣資産を増やしていくこと―が正当化されることになる。従来のユダヤ・キリスト教において長年にわたって忌避されてきた営利追求が神の栄光を現す行為と見なされるようになるわけである。」
と解説している。なるほど。
あまり読まれる本ではないと思うが、極めて優れた解説本である。自分がウェーバーを読み返すことは多分ないと思うが、この本は再読することがあるかもしれない。
マルクスとウェーバーに挫折しているところです。解説の解説を読んで、読んだような気になってしまいました。ブックマークします。
日本人は無宗教と自称しているけれど、お墓まいりするんだから十分霊的体験を感じていると思います。そういえばいいのにね。
うちの小5女子もね、そりゃ周りはいろいろいるみたいだな。
yoneyamaさん、うちの娘が小さいころもそれはいろいろあったようです。でもなんとか生き延びた
イスラム圏〜はなかなかおもしろかった。旅人でなくそこで暮らした日本人の話。そうイスラムの話でありながら、あー日本人だなあと思うような話でした。
Cheezeさん、こんばんわ。
うちの会社はイスラムやヒンドゥーや仏教や儒教やクリスチャンにユダヤやベジタリアンetc.
あらゆる人種・宗教のお客様が来るので
断食やら旧暦やら復活祭やらお祈りの時間には小さな絨毯を敷いてお祈りしたり、
いろんな宗教がらみの祝日・風習があって
まぁ、仕事の方もその間は休業になったり
お食事の心配とかいろいろで、
仕方ないと思うのですが、
日本人がGWでど〜んと休業にすると怒られます。
sakusakuさんの会社、何してるのか全く想像つきません
インタビューの最後がミヤコ観光ツーリストの社長さんで、ムスリム観光客を対象とした日本ツアーを企画実施されています。本人もイスラムに改宗された方です。食事や礼拝用マットの準備など、独特なツアー対応ですね。日本ハラール協会を設立された方で、本気のビジネス。お祈りと言えば我々はラマダーンのことを考えますが、日常的に一日5回位お祈りされるのでしょう。ビジネスであれ、日常の付き合いであれ、相手に合わせることが求められますね。一番戒律の厳しい宗教ですからね、それが相手のアイデンティティの一部なので、それを尊重するしかありません。
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