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「流」は1970、80年代の台湾が舞台で登場人物も中国名。なかなか名前が覚えられなくてちょっと焦る。年のせいか。100ページ位から一気に面白くなってきて、そのまま読了。抒情的で暴力的で明るくて少しせつない青春小説。祖父を殺した犯人を捜すミステリー仕立てだが、それは傍流。この本の魅力は、猥雑で極彩色で暴力と甘くすえた匂いがあふれる戦後台湾の街の風景そのもの。喧嘩、屋台、暴走、入隊、貧民街、そして美しい恋が、少年の饒舌の中に描かれている。傑作だと思う。
「君の膵臓を食べたい」はこの素敵にキャッチーなタイトルがすべて。小さく閉じられたような空間で、幼い二人の静かな恋を、気の利いた言葉と心のキャッチボールを通して楽しむ。この安心感と安定感は、例えば良質の少女漫画のものに似ていて、悲しい結末へとページをめくる。それはそれで悪くはない時間の過ごしかたかもしれないし、一気に読ませるのだが…海街ダイアリーの吉田秋生だったら、きっとこのすかした(きどった)男の子の頭をパコーンとひっぱたくシーンがあるはず。メインの二人以外の視点があると、この単調なストーリーにもう少し深みがでてくるのだけど。
「帰郷」浅田次郎
70年前の話。戦争が終わり南方から北方から人々が帰ってくる。故郷はもうない。懐かしい人も死に絶えて、それでも人は死んだ人の記憶を胸に生きていかねばならない。戦争とは人を業火に焼くこと、人が業火に焼かれること。人の心も焼き尽くされて、それでも残り火のように、人が人らしく矜持をもって生きている。浅田次郎の小説はいつもそんな風に書かれている。戦争と戦後の真実と人間を書ける人はもうわずか。
「世代の痛み」団塊世代の上野千鶴子と、団塊ジュニア世代の雨宮処凛の対談本。
雨宮さんはまずこんな風に突き上げる。
「団塊ジュニアの多くが、団塊世代の親が手にしているものを手にしていない。正社員の椅子。結婚。出産。ローンを組んで買った家。子ども。・・・」
「長年、団塊親と団塊ジュニアは同じ社会を生きてきているのに、まったく違う光景を見ていた。」
「団塊親は嘘つきだと、多くの団塊ジュニアは思っている。だけど、言わない。」
「わたしは二十代前半の頃、生きづらさをこじらせて右翼団体に入っていたことがあるのだが、なぜ、女でフリーターで地方出身で高卒という広義の「弱者」性に満ちていたわたしがフェミニズムをかすりもせず、よりによって右翼に流れたのか…」
1990年代以降、世界を席巻し始めたネオリベラリズム(新自由主義)が、日本社会にも浸透し、雇用破壊と競争社会が強まっていく。格差拡大が始まり、負け組になって這い上がれなかった多くの団塊ジュニア世代が、「自己責任論」によってさらに激しく追い打ちをかけられる。経済と社会制度の欠陥のはずなのにそれが、個人の弱さの問題のようにすりかえられて、多くの若者が行き場を失った。そのとき親の年代である団塊の世代は何をしたか、何をしなかったか。上野さんの言葉は説得的だが、それで雨宮さんの世代が救われるわけでもない。団塊ジュニアの一つの現実を知った。
*「流」東山彰良(講談社文庫)「君の膵臓を食べたい」住野よる(双葉文庫)「帰郷」浅田次郎(集英社)「世代の痛み」上野千鶴子・雨宮処凛(中公新書ラクレ)
う〜む。う〜む。読みたくなる読書感想文です。どれもこれを読まなければひっかからなかった本です。積ん読本が多くてなかなか後追いできませんが、謹んで印をつけたいと思います。
yoneyamaさんはフィクションはあまりお読みにならないのでしたよね。一冊と言われたら、「流」をお勧めします。16年の直木賞受賞作品です。この本の書評は多分一杯書かれていると思います。
登場人物も多く、どいつもこいつも一癖あって、散りばめられたエピソードや物のディテールが素晴らしい。アナーキーで力強い。台湾や中国本土のちょっと前の原風景が、とても生き生きと目に浮かぶようでした。でも東山さんは日本人で、文庫の解説で東山さんの若き日のアジア放浪の話を読んで、なるほどと思った次第です。上にも書きましたが、最初がやや苦痛かも。でも必ず面白くなりますよ、たぶん
「帰郷」は短編集です。大岡正平の「野火」のような作品も。昭和20年代、30年代の日本を舞台としたものが多かった。昨年、大佛次郎賞とってます。
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