「ベートーベン捏造」かげはら史帆(柏書房)2018/10/15
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ベートーベンは数百冊にのぼる「会話帖」を残していて、これは晩年耳が聞こえなくなって以降、周囲の人とのやりとりに使っていた手帳のこと。身の回りの世話をしていた秘書の一人、アントン・シンドラーが彼の死後この「会話帖」を引き取り、それを基に「伝記」を書いている。ベートーベン本人は聴覚はなくなったが、しゃべることはできたので、この手帳はもっぱらシンドラー含め周囲の人が書いたものだけで成り立っている。
たとえば、交響曲第五番は「運命」と呼ばれているが、これはベートーベン自身があのジャジャジャジャーンを「運命はかくのごとく扉をたたく」といったからと言われているが、その真偽は「会話帖」だけが根拠とか。
ところで、この会話帖、実はベートーベンの死後にシンドラーが勝手に大量の書き替えや書き足しをしていたとしたら?そしてそれをもとに「ベートーベン伝」を出版したとしたら?
実はこの捏造疑惑、伝記の出版当初から言われていたことらしい。
なぜそんな大それた捏造をしたのか。
ベートーベンへの愛と敬意を持っている自分が、逆にベートーベンから疎まれていたり軽く扱われていたりすることに耐えられず、自尊心を満たすためにやったという筆者の解釈。映画「アマデウス」のモーツァルトとサリエリのお話をちょっと思い出す。
読みだすと止まらない感じ。まだ30代の筆者が縦横無尽にシンドラーに憑依して書き飛ばしている感じもあるが、まあ面白い。
宮部みゆきさんも読売新聞で長めの好意的な書評を書いていましたね。
「ガルシア=マルケス『東欧』を行く」G・ガルシア=マルケス(新潮社)2018/10/30
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ガルシア=マルケスが「百年の孤独」を書いたのは1967年で、まずはラテンアメリカで次いで世界中に大反響を巻き起こし、ついに1982年にノーベル文学賞をもらっている。この作品は、彼がメジャーデビューする前、ジャーナリストとして当時は固く閉ざされた世界だった東欧諸国を訪れた際に書いたルポルタージュ。まだ30代前半のマルケスの、何気ない日常の奥にある暗いものを鋭く描き出し、シニカルな笑いと貧困にいる人々への共感を寄せた若々しい文章である。
スターリンの冷凍保存された遺体との対面とか、ポーランドのアウシュビッツ収容所訪問とか、でもそんな大きなトピックだけでなく、例えばまだ壁ができる前(!)の西ベルリンで、
「あのレストランに入ったときの印象は今も忘れられない…私はそれまで、朝食をとるという、日常生活の中でももっとも単純な行為をしているだけなのに、あれほど悲しげな顔をした人たちを見た覚えがなかった。ぼろぼろの服を着た百人ほどの男女が何とも言えず悲しそうな顔で、湯気の立ちこめる食堂でひそひそしゃべりながら山のようにあるジャガイモや肉、目玉焼きを食べていたのだ。…」
マジックリアリズムの作家マルケスが、ジャーナリスト出身というのが意外というか、やっぱりというか。
「歩行する哲学」ロジェ=ポル・ドロワ(ポプラ社)2018/10/10
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プラトン、ブッダ、セネカ、老子、モンテーニュ、デカルト、マルクス、ソロー、ウィトゲンシュタイン…etc.古今東西の哲学者、思想家、宗教家を27人「歩く」という観点から総ざらいして、印象的な歩きに関するエピソードを語りつつ、その哲学の本質を簡潔に紹介する。一人数ページで、哲学史の概論にもなっていて、それぞれもう少し知りたくなる。そんな意図もあるのかもしれないが。
カントは規則正しい男。散歩にについても:
「歩くときは、もっぱら鼻で呼吸すべし。決して口ではしないこと。正しく同じリズムで決めた道を歩くこと。散歩しながらはもちろん、ほかのときもビールを飲まない。ビーツやカブやサヤエンドウのような季節の野菜を食べる。早朝に良質の煙草をパイプで一服か二服。毎日同じ時間に同じことをする。そして何としても、猫には会わないように……イマヌエル・カントは、たくさんのルールを決めて厳守した。」
ところがこんなエピソードが:
「しかしある日、そのメカニズムが崩れた。カントが道筋を変更したのだ」
「その日彼は、大至急新聞を手に入れたいと思った。フランスで革命が勃発し、人権宣言が出され、共和国憲法が作られた、と報じられたのだ。」
カントでも慌てることがあるんだ…散歩中にフランス革命起こったんだものね。
チベットの仏教者ミラレパ、インドのバラモン系の宗教者シャンカラといった教科書にはでてこないような東洋の哲学者、宗教者たちのことも紹介されていて、哲学史としてもとてもバランスがいい。
さて、最後にチョーマ・ド・ケーレスという人のことを書こう:
ハンガリーの貧しい家の生まれのケーレスは、語学の才能があった。彼は母国の言語マジャール語の起源を知りたくてモンゴルへ行きたいと考えていた。しなければならないことをやり終えて、徒歩で家を出たのが1819年、34歳の時。
「3年後彼はまだ歩き続けて、ヒマラヤ山脈の支脈まできていた。トルコとペルシャを通り抜け、日々の糧を得るために働きながら、ペストを避けて大きく迂回するついでに、すでに使える幾つもの言語に加えて、トルコ語とペルシャ語もマスターした。」
チベットで雪のために足止めを食らう。その地でラマ僧たちと知り合い、その篤実な性格ゆえにラマ僧の信頼をえて、チベット語だけでなく仏教についても教えをもらった。
「(彼は)この山地に7年ほど滞在することになる。そして、夏も冬も、ほとんど暖房のない仏僧のための独居房で、ほとんど常に完全な孤独の中で、歴史上最初のチベット学者になった。チベット語の読み書きを習得した初めてのヨーロッパ人として、この言葉を駆使して、この特異な仏教の経典に直接あたり、その思想を見出すことになったのだ。」
「…ハンガリーをでてから17年後の1836年、(彼は)その仕事を終えた。ヨーロッパの知に向かってチベットの扉を開けたのだ。その後、若い日の誓いに向かってモンゴルへ向かう途中、マラリアでその生涯を閉じた。」
「3年後彼はまだ歩き続けて…」ああ、こんな人がいたんだ。
歩く哲学者たち、なかなか面白い。
三冊ともたいへんツボにはまった紹介でした。
ベートーベン伝記映画で見たのですが、かなりの曲者。でもサリエリみたいなやつも周囲にいそうですね。
ソ連影響下の東欧はなぜか心くすぐる存在で、20年ほど前にミラン・クンデラを大方読んだことがあります。文学的に、圧制下って絵になるんですね。マルケスの、戒厳令下チリ潜入記も岩波新書でありましたね。もう中身は忘れてしまったけれど。
カントの散歩はなにかでも読みました。最近瞑想について少し考えているのですが、毎日同じことをすることの効能について、仏教でも触れているんですね。
チベットに行き着いたマジャール人の話、興味深いです。フィン語、マジャール語、トルコ語、蒙古語それに日本語も、アルタイ語族とかツラン民族圏(トゥーラン・ドットの)ってことになっていて、これがどうもその他大勢的扱いなんです。歩いて旅に出てしまったってのが非常にツボです。1820年代のトルキスタンやチベットかあ、といろいろ妄想が描けます。
前の日記は夏休みの頃でしたので、だいぶ間が空いてしまった。本は読んでいるんだけど、感想書くのが億劫になって、そうすると読んだ本のこと、内容だけでなく何読んだっけ?みたいに記憶が薄れていく。これが老化というものですね。
あと、仕事を辞めたら本がたくさん読めると思ったけど、そうではないです。「集中力」っていうやつはやはり若いころとは違います…
ケーレスの話、面白いですよね。私も大変興味を覚えました。
ミラン・クンデラとマルケスの「戒厳令下チリ潜入記」、ではブックリストに入れて読んでみたいと思います。yoneyamaさんの干し柿の話を読んでいて、来年は作ろうかなと思いました。うちには柿の木はないですが、家内の実家や兄弟たちのところでは持て余しているようなので。楽しみです。
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