|
春樹のファンは、まず第一にそのディテールが好きなのだと思う。
食事を作る場面が出てくる。お洒落なものでなく、例えば、鯵の干物、漬物、小松菜の味噌汁といった簡素な朝食。主人公は軽快に身体を鍛える。散歩する、ジョギングする、家で腕立て、シットアップ、スクワットをする。身なりをちゃんとする(decency)。アイロンのあたったシャツとか、洗剤の匂いのする下着とか、月一回の散髪とか。日常のルーティンワーク(身の回りのこと)が「ちゃんと」できていることがまず大事だったりする。
古今の文学者の警句が断片のようにちりばめられる。センスのよさそうなポップス、耳のよさそうなクラッシックの解説。特に、比喩に満ちた会話のやりとりは、きわめて特徴的な春樹スタイルで、フィッツジェラルド、チャンドラー、ボネガットなどアメリカ文学を読むような気配。そうした文学的嗜好を持つ人なら、問題なく受け止められるだろうが、好みの分かれるところだと思う。
日常に微妙な齟齬を感じる主人公が、ある日迷い込んだ場所で不思議な体験をする。井戸の中とか、路地裏とか、四国の森とか。月が二つある夜空とか、ヒルが空から降ってくる駐車場とか。日常から急激に逸脱していく瞬間を描くのが上手い。読み手は背筋がゾクッとし、いよいよ物語が始まる、物語が動くと感じる。
彼の小説は、多くの場合、主人公の「本当の自分の回復」の物語である。その小さな「成長」である。世界は邪悪なものに取り込まれそうになっており、主人公は人知れずそれとの戦いに乗り出し、世界をあるべき形に修復するというストーリーになることが多い。「海辺のカフカ」では特にフロイトの「エディプスコンプレックス」理論を前面にだしつつ、不吉な予言のままに行動せざるをえない運命にありながら、最終的に「入口の石」を「誰か」の助けを借りながら閉めることで、邪悪なものを閉じ込めることに成功する。(「邪悪なもの」は春樹の小説理解のキーワードの一つで、内田氏や精神科医の名越康文氏のエッセイや書評を読むとなるほどね、と思うか、嘘だって思うか…)。
ナカタさん、ジョニーウオーカー、カーネルサンダース、などなど魅力的に病んだ異形のサブキャラクターたちが、主人公を導き、助け、立ちはだかる。こうした人物群がストーリーを大きく動かし、錯綜させ、そして作品の魅力を一層深めている。これはきっと賛同いただけると思う。
長いメモになった。またいつか考えてみたい。
村上春樹は初期のころから、違和感なく読めた作家である。少し年上の、自分とはまったく違う生き方文学観を持っている人だなあと思いつつ、どの作品でも必ず記憶に残るシーンを用意してくれる。これからもきっと読むだろうな。好きな作家の一人である。
チーズさん
ナカタさん、ホシノさん、高松の図書館、読んだのは10年前だけど印象的なシーンが思い出てきますね。この話で成長著しかったのは少年よりもホシノさんだったような。
ベートーベンの大公トリオはこのころウチで毎晩かけていたので、クラシックと言えば「のだめカンタービレ」しか知らないかみさんが「カフカの曲ね」と憶えたほどです。
奇遇です、いま後ろで「大公トリオ」かけてました
私の時計は、yoneyama家のより10年遅れてますね
リアルタイムで読まないと味わえないものもあるし、ゆっくりと、世間が落ち着いてから読むといい本もきっとあるでしょうね。
楽しいコメントありがとうございます
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する