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…無造作に投げ出されている金子光晴の言葉は、出土品の玉のように美しい…
反骨の詩人金子へのオマージュは、言葉穏やかに控えめに、そして具体的に。魯迅と郭沫若と金子が食事をしたときのエピソードも交えて、この詩人の交友の広さというよりも「歴史の近しさ」のようなものが楽しく紹介される。金子さんの「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」の、逃亡と放浪の三部作は、沢木耕太郎の「深夜特急」と併せて自分の若い頃の思い出の本だった。
有名な「女たちのエレジー」はとりあげていないけど、「いまはない花に」の:
女ごころは、みんなおぼこだったし、
男だって、その女からうまれた坊やたちで
人間くさくて哀しくて優しい金子光晴の視点に、茨木さんの共感の視線が重なっている。大好きなおじいちゃんを語る娘のような優しい眼差し。
最後に、金子光晴の笑顔の思い出を語り、長文のエッセイが終わろうとするその時、茨木さんはふと書き繋ぐ。
…夫の笑顔も私は好きだった。五月末と六月末とに、二つながらに 消え失せてしまい、もう二度と接することができないのだという思 いは、足もとのぐらつくほどの哀しみである。…
唐突な茨木のり子の独白。これもまた心に残る。
吉野弘の「祝婚歌」は、どなたも読まれたことがあるだろう。
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
酒田にいる吉野の姪の結婚式に、叔父として、お祝いに贈られた詩だとか。詩人仲間としていくつかのやりとりがあり、茨木さん自身もドイツの方と国際結婚された親戚の娘さんのその結婚式にこの歌を贈られた。異国でも大きな感動を呼んだという。「祝婚歌」にまつわる微笑ましいエピソードである。
これほど幸福な現代詩はきっとないと思う。
「美しい言葉とは」の中で、日常の言葉が、いつの間にか深い人間洞察の奥へと我々を導いていく例として、石垣りんさんの「崖」を紹介されている。
戦争の終わり、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げるた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
石垣りんの詩は“貧しき人々”のための詩である。その作品群の中で、この「崖」は傑出している。現代詩の代表作の一つだと思う。読まれた方は、個々の言葉とは別に、この落ちていく女たちのイメージを決して忘れられないのではないだろうか。茨木さんは最終連について:
…行方不明の女の霊は、戦後の私たちの暮らしのなかに、心のなか に、実に曖昧に紛れ込んだのだ。うまく死ねなかったのである。自 分の死を死ねなかったのである。…
と読み解く。だが茨木さんの文体は、ここだけ少し自信を欠いているよう。15年どころか、70年たった今も海にとどいていない。(そもそも女は、どこに消えたのでもない。女は黙し、歴史の中にうもれている。反戦詩と分類されることを拒む、深く柔らかな人間への洞察。)
簡単なのに難しい。難しいけれど、ぴったりと心に届く美しい言葉である。
茨木さんのエッセイは、誠実で率直で飾りがない。心正しく強い日本女性の姿が見える。
ところで、文脈は端折ってしまうけれど、このエッセイ集のとある箇所で、
この大天狗め!
と、由緒正しい言葉(源頼朝が権謀術数の後白河法皇を罵った言葉)がでてきて、思わず立ち止まる。使ってみたい日本語の一つだけれど、これはもう死語だろうね。
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白洲正子さんの「縁あって」「日本のたくみ」「かくれ里」の三冊を読む。
白洲さんのような「本物」の日本人女性をもう我々は永遠に失ってしまったのだと改めて思う。日本の工芸、美術、能、文芸全てにわたって、真の目利きであり、優れた紹介者である。なにより白洲次郎の奥様として有名。自分のようなものが何かを言えるような人ではないが、その文章の美しさについてだけ。
「縁あって」(PHP文芸文庫)
「戦争で日本が何もかも失った時代に、私はじっとしていられなくて、無性に『人間』に逢いたくて、無性に『美しいもの』に触れたくて、駆けずり回りました」と白洲さんは言う。審美眼の人、白洲正子さんの交遊録である。巨人とも言うべき白洲さんのことがよくわかる一冊で、入門書としてもいいかもしれない。その華麗な人脈はまず、小林秀雄から。梅原龍三郎、柳宗悦、青山二郎、水上勉、漆の黒田辰秋など、いつくもの思い出が語られる。北大路魯山人は毀誉褒貶のある人物だが、白洲さんは、愛情をこめて彼の作品の価値を教えてくれる。
「窯をあける時には、必ず知らせてくれ、ふだんはけちなじいさんが、まだ熱気の残る焼きものをたくさんくれた。私はそういうものをふだん使いにしており、魯山人の陶器は、ただで貰うものときめていたが、死んでしまってあわてて買いだした。」
白洲さんがどのような「場所」にいたか、よくわかる文章である。
表紙のカバー写真の武相荘は、東京町田の白洲夫妻の居宅で、今は小さな博物館になっているようだ。いつか(すぐにでも)訪れたい見事な古民家風の建物である。
「日本のたくみ」(新潮文庫)では、染物、焼きもの、木工、白木、生花、精進料理、刺青に至るまで、隠れた名人芸を掘り起こし、日本文化の正嫡へ位置づける手際が見事。それぞれの名工を訪れて、つくる喜びを言葉に引き出す仕事ぶりも圧巻である。何より作られたものの本当の使い心地を文章で表現できるのも、この方をおいて他にない。
「花をたてる」川瀬敏郎さんとの偶然の出会い。織物職人の田島隆夫さんとの長く無口な付き合い。
一方で、戦後の偽物の古伊万里事件の作者、横石さんをとりあげた「贋物つくり」は、人間くさくてなかなか秀逸。目利きの白洲さんをして、騙してくれたその古伊万里、真贋が発覚したあとも不思議に嫌な感じはしない。むしろ愛着が湧いてくる。新作の伊万里としてみればこれほどの上手はいないのではと思うほどの作品。やがて白洲さんは、この作者が失意のうちに若くしてなくなったことを知る。その弟さんを偶然知ることとなり、有田に向かい、兄の話を聞くことになる。仙人のような人たちの話だけでなく、こうした等身大の名工たちも紹介され、なかなか幅が広い。無名であろうとも本物には敬意を。有名であってもまがい物や人の気を引くだけのものには厳しく。白洲さんの気っぷと矜持と審美眼が、日本の工芸の全体像を、括りとっていくその手際は見事としか言い様がない。白洲さんの一冊と言われたら、私はこの本を挙げる。
「かくれ里」(講談社文芸文庫)は関西周辺の小さな村や神社仏閣に寄り道をした紀行文集。「観光ブームの中では、百済観音も中宮寺の如意輪も心なしか色あせて見える」と言う白洲さんは、訪れる人も希な日本のかくれ里を紹介してくれる。仏像も古美術も、不断の尊敬と愛情によって磨かれ、育ち、輝きをますもの。村人たちによって大切にされ、安らかに息づいている日本の美を求めて、白洲さんの旅が続く。万葉や古今の詩歌そのままの土地がいくつも紹介され、古の人が歩いた隠れ里をいま歩く意味が解かれてゆく。「越前 平泉寺」の泰澄法師、「葛城から吉野へ」の役行者の話など、山歩きをするかたなら強く心に残ると思う。日本の古代史、中世史への旅であり、歴史の周辺に生きた人々の物語でもあった。次に関西に行く機会があれば、その一つでも訪れたいもの。
グローバルな時代にはグローバルな知性が必要なのかもしれない。一方で白洲さんの残された作品は「日本的な知性とは何か」「真の教養とは何か」を深く考えさせる。日本は、多分、貧しくなると思う。だが、本当に恐れるべきは貧困ではなく、知性と感情と精神の劣化である。
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白洲さんは1998年に、石垣りんさんは2004年に、茨木さんは2006年に他界されている。
とても気になる日本の女三人組ですね。いずれもどれから読んだらよかろうかと迷うほどの長生き美人ばかりでしたから、小さな本ばかりのようですし、読書のきっかけとさせていただきます。ありがとうございます。
茨城さんの、ヒマラヤを越えるアネハヅルのことを書いた「鶴」という詩がありました。僕は以前その現場を撮ったことがありまして、その後その詩を読んで大いに感じ入った次第です。
金子光晴三部作、読みました読みました。詩人の書く文章は美しくて、二倍楽しめますね。
yoneyamaさん、(常軌を逸した)長い日記をお読みくださいまして、誠にありがとうございます。
茨木さんは、yoneyamaさんの映像を見て「鶴」を書かれたのでしょうか?
それとも別の番組だったのかな。いずれにしても素晴らしい偶然と出会いでしたね。
わたしのなかにわずかに残る
すんだものが
はげしく反応して さざなみ立つ
現代詩ですが、意図的に日常の言葉で書かれる詩人ですよね。
白洲さんの「日本のたくみ」は包丁研ぎと砥石の話もでてくるので、きっとyoneyamaさん、気にいると思います。甲州ですし。
金子光晴の三部作、読まれましたね
なんというか、殺伐とした時代ですので、やや古典を読みたくなりました。
いま平川さんの「路地裏の資本主義」を読んでいます。読まれているでしょうか。これもyoneyama好みだと思います。
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