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先日、お買い物にスーパーに出かけた際、レジのところで1人の初老の男性が倒れた。
近くにいた私。勿論、一瞬のためらいがもないでもないが、すぐに駆け寄り(応急の救急法のとおり)肩を叩きながら呼びかける。レジの通路は場所が狭く、呼吸確認のため、肩甲骨あたりに手を添えてみると、弱々しくはあるが呼吸を確認することができた。
幸い、次に呼び掛けたとき、目を開けられたので「大丈夫そうだ」と思った私。
「立てますか?」と声をかけると小さく頷き、ゆっくり上体を起こし始める。駆けつけた直後も周囲に出血やケガがないのは確認したが、さらに観察を続ける…また、瞳孔の動きを観察する。呼び掛けなどにどれくらいハッキリと認知できているのか?
自力で上体を起こし終わって(この間、再び倒れないように身構えてました。)少し大きく1回、息をされてから目がハッキリと動き出したので「油断はできないが、今は危険な状態ではないようだ」と思いました。
(恐らく、貧血?、低血圧?原因がよく分らず、高齢でもあるので「よく休憩してから帰ってね。」と声をかけ、しばし立ち去る様子を観察しました。)
この間、いつ救急車を呼ぼうか?AEDは?ってことも考えながら、スーパーという人の多いなかで、このやりとりを私1人でやってました。
実のところ、このようなことって不思議と何度か経験しています。映画館で倒れた人、チャレンジダイトレに向かう電車内、職場等々、山行中、足を痙った方や道を間違えそうな方への声かけもしたり、交通事故に遭遇して駆けつけたことも…。
そうこうして思ったのですが、「あっ

ほぼ反射行動だと思うのですが…「動けない人」の場合には「なんとかしないといけないけど、どうやって?」と思考から入る人かなぁなんて思います。
まぁ…中には「見て見ぬフリ」の第3のカテゴリーの人もいますが…

余談ですが、私が駆け寄った時に、同じく駆けつけて来る人のなかに、少なからず「私、看護師です。」って方がおられます。世の中ってそんなに看護師さんがいるもんなんだろうか?と思ったりします

【写真】は本文とは関係ありません。
【左】2018年、滋賀県の虎御前山の麓、毎年桜の咲く国に生まれて良かった。
【右】昨年の高見山、思えば今年の暖冬と大違い、コロナ騒動の前兆だったのかなぁ

【追記】
29日、生活必需品を買いに近くのスーパーに出かけると、普段と変わらぬ人出でした。カップラーメンが馬鹿売れしてました

失礼します。
考えるに、動けるかどうかは経験量の差なのだと僕は思っています。
もちろん、カテゴリー3の人もいますが、経験があるかないかが左右するのではないでしょうか。
なので、救急救命講習を何度も受講しておくと、咄嗟の時に体が動く。僕も、職務上、30年以上、毎年救急救命講習を受けてきました。長い間そうやって続けてくると、だんだんと方法も変わってきて、どうするのがいいのだろうと思いがちですが、ようするに、方法云々ではなく「何もしないよりした方がよい」ということなんだと分かってきました。
これは、障害のある方のお手伝いをするときや、高齢の方の介助をするときもおなじことがいえるのではないでしょうか。だから、日頃の訓練が必要なのでしょうね。
救急救命など使わなければならない状況が起こらないに越したことはないですけれど。
コメントありがとうございます。
私も同感です。
「学問なき経験は経験なき学問に勝る」(イギリスの諺(ことわざ)だそうです。)
私はというと…経験豊富とかいうことではないですが、すでに忘れてしまった昔の出来事での何事かで、最初の第1歩を踏み出してから、ちょっとづつそうなって来たのかも知れません。
色々と知識を探すことより、目の前の出来事に対して、自分が「何をすべきか」「何ができるか」と思い浮かべると…今、必要な知識が絞り込めるような気がします。
勿論、過信もダメだし、場合(お手上げと思った時)によっては、素直に周囲の助けを求める必要もあると思います。
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