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初めて上高地方面に行く時にも、当時は大阪発の夜行列車「ちくま」がありました。
富山方面に行く時も夜行列車「きたぐに」に乗って行きました

山の会の先輩の教えで、背中あわせの座席の隙間にもぐりこみ、プチプチのシート1枚を敷いて寝ていました。見回りに来る車掌さんも慣れたもので、通路に飛び出した足を乗り越えながら巡回しておられました。
次第に夜行バスへと切り替わっていったのですが・・。
今年、白馬岳をひさしぶりに計画しようと調べてみると・・大阪発の夜行バスがなくなっていました(・。・;
新幹線や高速道路網が発達したうえに、2012年の高速バスの居眠り運転事故をきっかけに、バスの本数が激減したように思います。
東京方面に比べて大阪から信州方面が不便になったように思うのは、私だけかな?
昔はよかった・・と言ってしまうと年寄くさいですが(おっさんには違いないが


写真左は、2007年、最後に乗った夜行急行「きたぐに」で着いた金沢駅
写真右は、同じく白山山頂での朝の写真です。
こんばんは^^
昔の夜行列車は知らんねんけど寂しい話やね
花嫁(登山)は夜汽車に乗って嫁いで(登りに)来るの〜
夢あるわぁ
dejavu さんおはようございます。
はしだのりひことクライマックスの歌ですね。
歌は私も好きですが、はしだのりひことシューベルツの
「人は誰も ただ一人旅に出〜て♪」とか
かまやつひろしの
「今夜〜の夜汽車で 旅立〜つ俺だよ♪ あてな〜どないけど どうに〜かなるさ♪」という歌が好きですね。
来年の山旅がいまから「♪わっくわっく・・」しています。
小学校の時父親に連れられ、長野駅のホームに新聞紙を敷いて2時間並び、急行ちくまの自由席に乗り、大阪万博を見学して帰りもまた急行ちくまで帰ってきました。キハ58の12連で冷房はないので窓は全開、顔は軽油の油でタオルが真っ黒になりました。
自由席夜行、便利なんですけどねぇ〜
kiha58さん、コメントありがとうございます。
大阪万博は、私も連れていってもらった記憶があります。
大阪とはいえ、当時はじめて外国の人をみた気がします。懐かしいですね(^_^)
ちなみに、旅先の宿の食堂でたまたま話し込んだ(日本語ですが)ドイツの留学生の女性が「外人」と呼ばれることがとっても嫌だと熱く語ってました。
夜行列車、季節運行でもいいので、復活してほしいですね(^_^)/
オサンさん
大阪〜信州ではありませんが、数年前まで青森や函館におりまして、その頃は夜行で札幌へ行き、札幌の友人の運転で日高や大雪に登って夜行で帰っておりました。鉄道と登山は相性がいいと思います。ぼくも若い頃から鉄道で登ってきた楽しい思い出が忘れられません。国鉄時代は特にいろいろなことがルーズでよかったです。JRは融通が利きません。まあ日本中がそうなりましたね。
yoneyamaさんコメントありがとうございます。
私もまったく同感です。北斗星もなくなり、秋田経由のフェリーもなくなり、寂しい限りです。
電車でのんびり、スルメを食いながら酒を呑むのも楽しかったですねぇ〜(◎-◎;)オーサンでした(≧∀≦)
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